Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

生物エネルギー

 ウエアラブルな機器(ウェアラブルコンピュータ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF)が徐々に広がり始めている。メカニカルな意味での典型は腕時計であるが、グーグルグラス(http://ja.wikipedia.org/wiki/Google_Glass)に代表されるような電子端末が注目を浴びている。
 医療分野で言えば、人工心臓などの生体機能補助装置は当然ながら常に身に付ける物であり、補聴器や眼鏡(あるいはコンタクトレンズ)も機能補助装置として広く用いられている。人の活動を補助あるいは拡大させる機器は今後もどんどんと増えていくであろう。携帯電話についても常時手元においておくのであればウエアラブル機器であると言っても良いかもしれない。
 かつて用いられてきた(そして今実現しつつある)「ユビキタス社会」という言葉は、機器のコンパクト化だけでなくバッテリーの長寿命化により制約が徐々に取り払われている。

 眼鏡やコンタクトなどは、それを動かすためのエネルギーを必要としないため製品の寿命(あるいは破損)までの使用が可能ではあるが、電子機器の場合にはバッテリーの高性能化は進展しているもののその制約から逃げられるという状態ではない。長期的な機器の劣化(あるいは冗長化)だけでなく、常にその稼働エネルギーを供給し続けなければならない。
 たまに利用するものあるいは身に付けなくても良いものであれば、それを設置した場所でのエネルギー供給(多くの場合にはコンセントに接続する)をすれば生活上何の問題もない。しかし、これが常時身に付けることを前提とするのであれば、かなり話が変わってくる。
 既に人体発電技術は開発が進んでおり(http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD200S6_R20C12A9000000/)体温や振動を利用した微弱な電力を生み出す装置は実現目前である。人体に限らない言葉として「環境発電(http://tocos-wireless.com/jp/tech/eHarvest.html)」というものがある。

 電気エネルギーについては既に開発も進んでいるが、まだあくまで生み出せる電力は小さい。より大きなエネルギーを人体から取り出し、ウエアラブル機器へ利用できないかと考えるのは面白い。人体活動を利用する方法は、既に自動巻き腕時計のように運動エネルギーを抽出することでは実現している。電気エネルギーについても上述のとおりである。ただ、もっと直接的に生物が活動するために用いている反応をエネルギーとして利用できないかというものだ。
 何もサイボーグを創り出そうという訳ではない。むしろその逆で、映画マトリクスにもあったように人間そのものをエネルギー源として利用するイメージの方が近い(もちろんそんなことを推奨している訳ではない)。人体は休むことなく活動を続けているのだから、そのエネルギーのほんの一部をウエアラブル機器に利用できないだろうかという提案である。

 そもそも人体が摂取した栄養素をエネルギーに変換する仕組み(http://www.life.osaka-cu.ac.jp/report/rep08.html)はATP回路あるいはクエン酸サイクル(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%83%B3%E9%85%B8%E5%9B%9E%E8%B7%AF)と呼ばれ筋肉など活動に利用するエネルギーを作り出している。この仕組みを電子機器にそのまま応用できるという訳ではないが、もし利用できたならばウエアラブル機器は人体の一部となる。
 現状の技術でそんなことを容易に行えるはずもないが、社会問題となっている肥満がエネルギーの過剰摂取(蓄積)により生じているのであれば、それを運動以外で別に利用できれば健康維持についても役に立たないか。人体をエネルギー発生機器と考えれば、食糧さえ確保できれば機器を外部からのエネルギー補給なしに使用可能となる。
 もちろんエネルギー効率を考えた場合、電気などの外部エネルギーを利用した方が合理的(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E5%8A%B9%E7%8E%87)なのは理解できるが、映画や小説のように脳の機能と外部の接続を考えるよりも、こちらの方が現実的であるような気がする。少なくともサバネティクス(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%8D%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9)による人体と機械の融合よりは容易であり、また身体機能の一部を失った人が用いる(あるいは作業用)パワードスーツなどでもこうした機能は役立つだろう。
 社会全体のエネルギーを支えるには、エネルギー効率を追求すべき経済的合理性が存在するが、個人レベルでの利用を考えれば判断基準はおそらく変化する。ニーズは十分にある。

 こうした開発には当然負の面も存在し、仮に生物から取り出せるエネルギーが今以上に大きなものとできるようになった場合には、生物がエネルギータンクとして培養利用されることもあるだろう。今でも植物がバイオエネルギーとして着目されているのだからあながち変な話でもないように見えるが、エネルギー効率を追求した生命体を生み出す研究が生まれると考えると、倫理面からして様々な議論が必要だろうし個人的には良い気分にならない。
 少々話が飛躍しすぎなのかもしれないが、生物からどのように利用できるエネルギーを取り出す(自転車発電などではなく)かについては考えておいても良いのではないかと思う。