Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

生活のリズムと普段のやる気の底上げ

今週のお題「やる気が出ないときの◯◯」

 

 やる気が出ない時にどうるのかということは、多くの人が考え悩んでいることではないだろうか。このやる気が出ないという状況は、精神的な側面によるものではあるが、精神的な充実は肉体的なものや周囲の環境により左右される。大別すると、おおよそ3つほど(大きく括れば2つと考えることもできるが)の理由により生じると思う。

 

 一つ目は、自分のバイオリズム(バイオリズム - Wikipedia)と合致していない状況である。人にはそれぞれ生活のリズムがあり、体調のリズムがある。これは、多少コントロールをすることができるが、常にベストの状態を保つのはなかなかに難しい。例えばスポーツ選手も常に緊張し続けることができないように、弛緩と緊張を精神的あるいは肉体的に調整して必要な時にベストな状態に持って行けるように苦労している。ただ、一般的には自分の体調や精神状態を的確に把握、あるいは調整できる人はそれほど多くはない。自然に任せていると、調子の良い時もあれば悪い時も生まれる。男性はそれほどではないが、女性の場合には生理なども影響するためその浮き沈みが激しくなる面もあるだろう。ただ、バイオリズムはやる気があれば多少のコントロールは可能である。

 一方で、病気や怪我などの不意に起こる不調はこの範疇から外れる。自分の精神や体調というある程度コントロール可能なもの以外の、外的要因により生み出される不調。これも精神的、あるいは肉体的不調と結果的には同じと見ることもできるが、自分でコントロールできないという側面で別の状況と見ることもできるだろう。ただ、そういう事態に至れば「やる気」どうこうの問題ではないと言えなくもない。

 

 一方で、精神的な側面で考えれば、すべき仕事(あるいは作業)に興味がないか、あるいは嫌悪しているということが考えられよう。興味ないものに集中することは強制されでもしない限り困難だし、ましてや嫌悪していることに対してやる気が出るはずもない。それを排除するためのやる気は出るかもしれないが。「好きこそものの上手なれ(好きこそものの上手なれ - ウィクショナリー日本語版)」という言葉を見てもわかるように、やる気がでるためには感情が作用しなければならない。義務感のみでは心や体を動かすのに力が不足するということである。

 

 さて、それではやる気が出ない時にどうすればよいかであるが、実は私は何もしないというか、〆切ギリギリまで自分を追い込むという方法を取っている。やる気がないというのは、自分自身のモチベーションが高まっていない状況。それを上げるために自分でニンジンをつるすということも不可能ではないが(例えば、自分へのご褒美等)、それをやるには少し世間ずれ(文化庁 | 文化庁月報 | 連載 「言葉のQ&A」)し過ぎている。結局のところ、私の場合の最後の砦は責任感のようである。責任感があるのであればやる気を出して早々に仕上げればよいのはわかっているが、それができないのはまさに人であるが故と考えるしかないか。

 バイオリズムの調整も、一時期取り組んだことがある。ただ、いつ突発的に忙しくなるかわからなければ調整のしようもないし、常に忙しくなればほとんど無意味である。解決策はそんな状況から抜け出すことなのだが、好きで選んだ道(仕事)なのでこれまた不可能なのだ。だから、諦めて自分に残された最後の砦である義務感あるいは責任感に任せることで逃げている。それを失ったときには、もはや今の仕事はできなくなるだろう。

 

 直接的には上記のように上手く「やる気を出させる」のは難しいのだが、普段から「やる気」の底上げをするための方法を一つ実践している。それは、常に「自分がやっていることは楽しい」と考える、あるいは声に出すことである。「楽しい」でも「面白い」でも、「もっと面白くしてやる」でもよい。ポジティブシンキングと呼ぶのが良いかどうかはわからないが、自分の心をそのように教育し続けることである。自分の考えや声を最も聴いているのが自分なのだから、ネガティブな言葉やイメージをわざわざ自分に聞かせる必要はない。努力しなくて良いという意味ではなく、きついこと、厳しいことに対してもポジティブな精神状態でいられるように、無理やりではなく保つようにする「心掛け」といえば良いだろうか。

 それでもネガティブになるときには、寝て忘れるか、数日間は徹底的なネガティブ期間を取る事を実践している。その時には、無理やり徹底的にネガティブな思考をする。それが苦しくなって通常に帰還したとき、私の場合ではあるが少し解放されたような気になる。そこからは再びポジティブ期間の始まりである。

 それからなかなか難しいことではあるが、人からネガティブなことを言われた時には、それを逆転するように何をすればよいかを考える。これもポジティブシンキングの一つなのかもしれないが、世の中をゲームと捉えて、自分の状況を覆すには何をすればよいかと考える。そして、この時に最も必要なことは俯瞰的に見ること。ゲームを持ち出したのは、俯瞰的な思考を誘導するためである。苦しい時にはどうしても人は近視眼的になってしまう。俯瞰視ができない。ただ、それは良い状態とは言えない。多くの場合は責任感が視野を狭めてしまうのだが、ゲームと捉えることで責任感を忘れるわけではないが、自分を拘束するしがらみを少しでも解き放つのである。

 

 こうした方法論は人によって異なるものだと思うので、私の方法がベストだというつもりは全くない。ただ、短い人生の時間を苦痛と後悔に大きく割きたくないというのが私の持論である。同じ生活を送っても楽しいと思った人の方が人生の勝ち組である。

 もちろん成功するための努力は必要だし、スマートにそれを実行するための方法を考えることも重要だろう。だが、何より過程を楽しめることが最も重要ではないかと思うのだ。その上で、反省はしても後悔はしないと開き直る。そうすれば、何となく楽しそうではないか。もちろん、人に迷惑はなるべくかけないようにすることは当然である。

 

 話がそれてしまったが、普段からポジティブに生きて、やる気のレベルの底上げをしておく。その上で、どうしようもない時には開き直る。人生は、開き直りにより改善できる。そのための自分だけの方法論を探すのが、人生の一つの目的かもしれない。