Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

老いを感じること

 年齢を重ねるにつれ衰えを意識せざるを得ない面と、まだまだ大丈夫と反骨する意識がせめぎ合うようになってきた。とりあえず感じるのは体力の低下で、それは日々の行動よりも深夜までの作業が難しくなることで分かる。あるいは、集中力を高めるまでの儀式に長時間かかるようになった点も加わった。バイオリズムが低く推移する時間が増加したと考えても良いかもしれない。このあたりは、日々の仕事の進め方により違いがあるかもしれない。私はコツコツと仕事を進めるのではなく、バイオリズムが高まった時期に一気に進めるタイプである。問題はそうしたバイトリズムが頂点を迎える周期が延びつつあることかもしれない。

 もちろんまだ現役まっただ中ではあり、逃れえない多くのタスクやチャレンジしたい仕事が山積みなのだが、気持ちの部分で後ろ向きになっていることを認識する回数が増えたのである。ネガティブな思考は負のスパイラルによりネガティブな結果を誘引しやすい。そのことは十分理解しているので、普段の生活では前向きかつ楽観的に捉える様にこれまで自分の思考を数十年かけて変化させてきた。だが、こうした心や心理状況の安定が、かえってプラス側への盛り上がりも奪っているなとよく感じている。

 

 私は感情的に振る舞うことの愚を常々意識しており、相手が感情的に応じてきたとしても、感情的な振りはするが本心から理性を失わないようにコントロールを心掛けている。要するにブラフだ。あたかも感情的に応対している様に見せかける。だが、相手がある問題には良いパフォーマンスを示せても、自分自身に対する問題では創造性を生み出すだけのパッション(情熱)を向けることが難しくなってのではないかと疑問を感じているちった次第なのだ。

 それが年齢によるものなのか、あるいは自分自身の迷いに依るものなのかは分からない。結局、それは自分自身の心に問い続けなける答えのない問答なのだろう。先ほどは前向きにパッションと書いたが、場合によってはエゴと呼んでも良い。加齢により本来エゴがもっと前面に出てくるかと予想していたが、現状まだそんな感じにはなっていないと思う。これは私自身の認識なので、他者から見れば違う意見となることもあるだろう。あくまで自分なりに客観視した時の自己判断に過ぎない。

 

 体力の低下に関する問題については、今後筋力量が増加することは期待できないが、最低限の維持を図るべく週に数度の運動は心がけている。これによりどれだけの維持が可能かは未知数だが、何もしないことの恐怖と比べれば意義は感じている。

 今、最も気にしているのは思考能力の低下に関してである。現状、それ程顕著な低下を感じている訳ではないが、疲労が蓄積している状況では若干の思考能力低下を感じることが増えた。いや、思考するだけの体力を回復するために時間が必要になったと言っても良い。体力や身体機能が徐々に低下していくこと自体はやむを得ないことだと思っているが、思考力については維持していきたい。少なくとも70代や80代でも立派な仕事をしている多くの人がいる以上、それを目指して頑張っていきたいと思う。

 

 パッション(情熱)の話を考えるとき、人生におけるいくつかの目標が関係していると感じることは多い。進学、就職、結婚、一定の社会的成功、子供の独立。私自身はこれらを、紆余曲折はあるし程度の差はあるものの、ある程度達成してきた(十分とは思わないが)。その達成感があたらなチャレンジスピリットを抑える役割をしているとすれば、自分自身の認識を再度見つめ直す必要があるだろう。

 私はまだ十分に傲慢で、もっと手に入れ、知り、触れ、考えることを続けたいいのだと。そのためには、今後もう少し自分勝手に振る舞うことが必要なのかもしれない。もちろん人に大きな迷惑をかけるつもりはない。だが、自分に絡みついてきた多くのしがらみを少し振りほどくことによって、自分の自由を取り戻せるようになるかもしれないのだから。

 

 若い時、将来は「頑固おやじ」になりたいと思っていた。少なくとも、自分の人生を卑下することなく、自信をもって自分なりの生き方を貫き通す。若い人は一時的に嫌がるかもしれないが、そこに何らかの美学を見せられるように。そういった考えをしなければならない自分に至ったことこそが老いなのだろうが、老いの先に何があるかを追いかけるのも悪くはないだろう。それは私がこれまで想像してきたものと同じなのか違うのか。それを考えることを楽しみにして。