Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

粘る力

 人生において、諦めないことと諦めるべきことの見極めは非常に大切である。だからここでも何度か諦めることの大切さを書いたりしてきた。ただ、全てを諦めれば人生は無意味だし、全てに拘り続ければ何も手に入れることができなくなる。取捨選択という言葉で括れば簡単に説明できるが、実情はそう簡単に割り切れるとは限らない。私自身のことを考えると、目標として定めたことを諦めた回数はそれほど多くはない。子供のころの夢であった天文学者になるとか、有名スポーツ選手になるという目標とは言えないレベルの希望に関しては諦めたが、実現すると自分に対して言い聞かせた(定めた)ものではないので、諦めたという言葉を使うのは適切ではないだろう。逆に目標を立てた道筋は紆余曲折あったとはいえ、それなりに達成してきた。夢という朧げなものは単なる願望であり、諦めるというレベルにすら達していない。

 また、ビジネスでも勉強でも取り組んだチャレンジを、状況が変わった時に方向転換することは必ずしも諦めたとは言わない。代替目標を定めそこに至ったとすれば、目標を達成したと言ってもよいと思う。この辺りの機微に関しては人により考え方が異なるかもしれないが、目標が何らかの形での成功という具体性に若干欠けるが夢よりは明確な具体性を持つ場合、至る道筋が違ったとしても目標を達成したと考えてよいケースは多いと考える。もちろん、どうしたも手段が大切だと考える人もいるだろうから絶対的なものではない。

 

 さて、強い精神力で粘り続けるというのは正直ストレスの大きな状況である。私が考える「粘る力」はタイムスパンを長くとることにより気軽に粘ろうという方法論だ。いつまでに終えなければならない、完成させなければならない、というケースはビジネスにおいて少なくない。ノルマと呼ばれるものである。だが、人生における目標とは少々異なる。ノルマをスマートにこなす力も別途触れてみたいと思うが、それよりも人生において自分が成し遂げたいと思っている目標に至る時間軸を伸ばせるケースは少なくない。試合に勝ちたい、著名なスポーツ選手になりたい、大企業に入りたい、その他様々な目標には明確な期限が存在する。だが、こうした期限が定められていない目標においても私たちは多くの場合において短時間で成し遂げようと自分にプレッシャーを与えていることが多いと思う。

 ただ、目標到達のための時間軸を少し伸ばしてみるだけで、見えてくる景色がかなり違うのではないかと思うのだ。これは努力をずるずると引き延ばそうというものではなく、心にゆとりを持とうというものである。それが容易に持てれば苦労しないが、何度も諦めては次のチャレンジに進むよりも、諦めないままに別のチャレンジも行うという並行的な認識を持つことをお勧めしたい。ただ、そうした方法論を取る人は私が知る限りあまり多くない。一つ一つ問題を解決し目標に到達するという人は多い。あるいは、実際には並行でいろいろな問題に取り組んでいながら、目先の問題に飲み囚われて視野が狭くなっているケースもあろう。

 だが、目標達成には多くの場合自分が思っている以上に時間がかかるものなのだ。物事が成功するには自分の能力や頑張りもあるが、周囲の認識や一緒に動いているれる人の状況、あるいはそれを受け入れてくれるような環境といった多種の要素が複雑に絡み合っている。それは自分が認識しているよりもずっと複雑で難しい。それが一気に流れ出すのを「機が熟した」と言うが、熟すためには時間が必要である。多くの人は、熟す前の青い状態で完成したと認識してしまうことが多い。

 

 ここで考えている「粘る力」は、「放置できる力」あるいは「待つ力」と考えてもいいだろう。時には偶然、とんとん拍子で進むということがないわけではない。だが、それは非常にレアなケースであり、多くの場合には思っているよりも倍近く、時にはそれ以上の時間がかかるものなのだ。その間、ずっと気を張り詰めて耐え忍ぶ事のできる人もいるだろうが、私にはそんなことはできやしない。だから、上手くいくと感じられるときまで地道に自分にできることを積み重ねていく。その時がいつ来るかは正直分からない。それでも自らの取り組みが成功すると信じられ続ける限りにおいて、諦めることなくゆっくりと機を待つのだ。

 最近の若者は忍耐力がないという話はあるが、それは社会が忍耐を求めないように変化したからであって、若者の責任ではない。それよりも問題だと思うのは、一つのものやことを極めずにどんどんと取り組みを変え続けることである。変化の激しい社会なので、その方が向いている分野(例えばITなど)もあるかもしれないが、変わっていいのは方法論であって、目的ではない。自分が定めた目的(あるいは目的レベル)を変えないということは重要ではないだろうか。忍耐力という面でも、手段を変えるのは構わないが、目的をあやふやにしていくということは推奨できない。ただ、それが大きなストレスになってしまうような心構えではなく、定めた大きな目標を抱きつつもそこへの道のりには余裕を持とうという形を推奨したい。

 若くして成功する人たちを見ると、羨ましく思うことも少なくない。また、地道な努力や効率的な方法論の模索も重要だろう。だが何よりも、努力を長く続けるための心のゆとりこそが、最も重要であろうと思う。焦る気持ちをコントロールするのは容易ではないが、粘りとは一つに拘りすぎないことでもあると思っている。