Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

賢者は足らずを知る

頭の悪い人ほど自己評価が高いのはなぜか(http://president.jp/articles/-/8654

 「頭の悪い」と評価するのはどうかと思う気持ちを抱いてしまうせいもあってか、頭の良い(高学歴)の人でも自己評価の高い人はいくらでもいるだろうし、統計的に背伸びをしたくなりやすいという面があるようにも思う気持ちが先に立ってしまった。特段、調査分析結果にケチをつけるつもりはないのだが、別の分析をしてみれば集団帰属意識が高い人ほど中心値に自分を近づけようと無意識のうちに自己評価をしがちと言う結果も見られるかもしれないと感じたりもする。
 一般的イメージで恐縮だが、「自分が」という気持ちが強い人は目標する自分に現実を近づきたいという気持ちも人一倍強く、そのための努力をしているかどうかとは別に、目標値に応じて自己評価を引き上げる傾向があるように思う。そのことが常に悪い側に働く訳ではなく、それをばねに伸びていく人も数多く見る機会があった。その上で言うが、あくまで私が抱く感覚だが頭の良し悪しと自己評価は必ずしも一致しない。

 些細な点にあまり拘るのもどうかとは思うが、頭の良さと言ってもいくつかの評価の方法があり、受験に強いというのも一つの頭の良さだが賢いという言葉は必ずしも高学歴を意味しない(もちろん企業の格やポストも関係ない)。統計を取れば、高学歴の方が良いポストに就き高い収入を得ている率が高いのは動かすことのできないことかもしれないが、両者が必ずしも人の賢さを表す指標とは言い切れないと私は考える。
 賢さの定義を問い始めるときりがなくなるが、少なくとも賢さには自分を正しく知るという面が含まれていると私は考える。すなわち、過大でもなく過小でもない正当な評価を自分自身で如何に下せるかということである。実のところこれは非常に難しいことで、多くの場合において自己評価を外部に依存している人が大部分であろう。
 逆に言えば、自分なりの評価を旨とする人は自分を過大に評価しがちになり、他者からの評価に左右される人は自分を評価を定められない(過大になりあるいは過小にと揺れ動く)。

「敵を知り己を知れば百戦殆うからず(http://kotowaza-allguide.com/ka/karewoshiri.html)」は孫子の言葉ではあるが、敵のみを知っていても自己評価を誤れば時に問題を起こす。いくつかの分野において実力が突き抜けている場合には、自己評価が正しくなくとも上手くいくこともあるだろうが、これこそは新しい何かを生み出す社会において求められる「変人」だと言っても良いかもしれない。
 逆に賢くなくても発明し、生み出し、社会に貢献できる。突出した力は、突出した美しさと同じように社会における希少性により大いなる武器となる。ただ、その力は天性のものであることが多く、後天的に獲得するのは容易ではない。それ故に、やはり賢さは求められるのではないかと考える。

 賢さの重要なポイントは、自己と社会の立ち位置をきちんと見定められることであると私は考えている。だからこそ、自らの性格・資質や能力に応じた良い関わり方をすることができる。逆に言えば、個の力で問題を突破できるのではなく集団の協調力(悪い言い方をすれば多くの人の力を利用して)で問題を解決し、あるいは新しい何かを生み出していく。
 自分に何が不足しており、如何にすればそれを補えるかを知っている。もちろん完全に全てを理解していなくても良い。世の中には個の力で難局を難局を切り開き障害を突破できる突出した人が少なからずいる。私も何度もそういう人たちと出会う機会をもらい、抱え持つ能力の高さに驚愕し叶わないものと尻尾を巻かざるをえない状況に立たされた。
 自分とはその分野において根本的に立つ位置が異なると理解させられることは、ある意味において屈辱であり絶望的な壁が目の前にそびえ立っているような雰囲気でもある。おそらく同じような感情にもてあそばれた人はそのレベルは別として少なくないだろう。

 目の前に立ちはだかる壁は印象論より巨大で厚く感じられるが、しっかりと自分の立ち位置を認識して視野を広く持つだけで少し横に移動するだけで壁の向こう側に至る谷筋の道を見いだしたりもする。あるいは別の道具を利用できる可能性に気づくこともあろう。壁に近づくまでは壁の大きさや高さを感じることはできないが、壁に近づきすぎれば今度は周囲を見回す余裕を失う。
 独力でそれを打ち破れるだけの意思と能力があれば最善かも知れないが、それ以外でも人の力を借りて進めても構わないし、それ以上に多くの人が自然にサポートしてくれるような状況を作り出せれば素晴らしい。
 ただ、自分以外の力を上手く生かすためには自分に不足している物をしっかりと認識することが何より重要となる。老子からの諺で戒めを説く「足るを知る(http://kotowaza-allguide.com/ta/tarushirumonotomu.html)」というものがあるが、「(自らの能力の)足らずを知る」ことも同様に非常に重要ではないかと思うのだ。

 繰り返しになるが、自己の立ち位置や能力の過不足をきちんと知ったからと言って、必ずしもお金持ちになるとか社会的地位が向上するとは限らない。ただ、転ばぬ先の杖(http://kotowaza-allguide.com/ko/korobanusakinotsue.html)としてあるいは自らの向上心を上手く利用するための方法として、または自らが進むべき道を見いだすために、客観的に自らに不足する能力を(自分自身でもしくは他者の力を借りて)把握することは、非常に需要ではないかと思うのだ。
 一方で、不足しているコトは全て自分が分かっていると過信することが、驕りや傲慢さにつながり将来的な危険の芽を生み出す事も知っておいた方が良いだろう。「足らずを知る」と言うことは謙虚さを持ち続けながらも、次の目標を得るための重要な足がかりとなる。
 歴史に学べば賢者は「足るを知る」が故にほどよい富を手にすることはあっても巨大な富を手にしないであろうことは、人生の価値を考える上で示唆に富んでいると言っても良いかも知れない。