Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

知識と度胸

実行力とは、知識がなければ無駄な足掻きであり、度胸がなければ臆病者の遠吠えに終わる。その両者が兼ね備えられて始めて大きな事を為し得る。一人一人がその両者を兼ね備えることが社会として最も良いようにも思えるが、逆にこの両者を有する者同士が主張し諍いが生じることも多い。お互いに相手を尊敬しつつ理想的な関係が築ければよいのだが、往々にして主導権争いは経済的理由や権力的(ポスト的)理由により発生するものだ。
とは言え、このレベルでの争いが生じることは考えようによれば良いことだと思う。争いの内容が野卑になってしまうのは困りものではあるが、高いレベルを目指しての争いはチャレンジ精神にも結びつく。もしろん、先ほど書いたように相手のことをリスペクトした上でのライバル関係が成立すのが何より望ましいが、このあたりの相性というものはなかなか御しがたい。

今日本で不足しているのはこの実行力であろう。官僚的という言葉は現状を維持を最大限の成功と考える悪しき意味で使われるが、個々にはその精神を遺憾なく発揮している人もいるだろうが、政治を見ても大企業の状況を見ても問題視されているのはこの実行力のなさである。
そして、日本の場合に多いのはどちらかと言えば蛮勇ではなく責任回避の姿勢であろう。その両者とも、おそらく成功に至る確率の低い道を歩んでいるが、蛮勇は夢を見つつ穴に落ち、チキンは何も変えられずに痩せ衰えていく。
知識は教育によりもたらされ、度胸は経験により身につける。この両者は本来どちらに偏っても本当の意味での実行力を得るには不十分である。意味は多少違うかもしれないが「文武両道」という言葉の構図は似ている。言葉の目的として人格形成もあるだろうが、真の意味での実行力ある人を育てるという願いが込められているのかも知れない。
ちなみに、もう一つ実行力に欠けてはならないものがある。それは、忍耐であって継続力を担保する。似た3つの要素を言葉として当てはめるとすれば「心技体」があり、心は忍耐、技は知識、体が度胸に該当するかも知れないが、これは以上は言葉遊びで意味も薄弱なのでやめておこう。

ネットの発達により、人々は大きな発言力を得るようになった。理不尽なことに対して問題の存在をネット上に告発すれば、ケースによっては社会現象を巻き起こすことすらある。情報化の進展により断片的な情報は容易に集めることができるため、通り一遍の知識を得るのは非常に簡単になった。社会に何かアピールしようとした時、成し得る力(知識)を多くの個人が得たのである。しかし、その力はあくまで一時的なインパクトであって物事を動かすには必ずしも足りている訳ではない。そこには抵抗に引かない度胸や継続できる忍耐があるとは限らないからだ。ただ、企業や一般社会における現実よりは匿名であってもネット上では確かに何かを成し得る可能性は高まったのも事実である。
問題はその可能性の高まりをもって、自らが実行力を得たと勘違いしてしまうことにあるのではないだろうか。特に、同じ様な傾向の人が集まる掲示板・SNStwitterなどを介すると、その傾向は顕著となる。交流自体を否定するつもりはないが、経験を経て得られる度胸は仲間同士では育たない。下手にプライドのみが増殖して本物の度胸や知識を習得しないままに暴れ回れば、それこそが蛮勇と言うに相応しい行為と言えよう。

政治の世界でも経済の世界でも必要とされるのは真の意味の実行力であり、その習得を日本人は再び目指すべきだと思うのだが、マスメディアなどが即座の結果を求めることでチープな実行力が跋扈している。ゆとり教育などによる知識の低下も問題ではあるが、それ以と同時に適切な度胸と継続する忍耐力を付けることを教育の目的として掲げることは重要なのではないか。
もちろん、これらは教育の改革が成し遂げられなくとも個人としての心構えにより会得することは十分可能である。