Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

文章と小説

今年は時間を作って小説を書こうと年初に抱負を掲げたまではよかったが、怠惰な私の性がその効率的な進行を妨げる。確かにショートショートhttp://alternativissue.blog.fc2.com/blog-category-2.html)をいくつか練習として書き始めたし、以前より企画していた長編(http://alternativissue.blog.fc2.com/blog-category-1.html)に1つ手を付け、さらに調子に乗って特段の準備もせずにもう一つ中編(http://alternativissue.blog.fc2.com/blog-category-3.html)にも手を出してしまった。そんなに器用ではなく時間の使い方も下手な私が少々気合いを入れたからと言って、一気呵成に文章を書けるような境地にはとても至れない。
それでも、一応まがりなりにもストーリーについては長編、中編ともに時間とやる気さえ発揮できればラストまで行ける状況までは煮詰まっているはずなのだが、何かと理由を付けて無理にでも時間を生み出さないのは自分自身の中で何か納得できていないことがある訳だ。その納得できない部分というのは、おそらく小説の中身ではなく自分自身の心構えにありそうだ。
そんな中途半端な気持ちで書いているにもかかわらず、ショートショートの1作品はブックマーク(http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/job_joy/20120122/1327158027)をいただけたし、別のもの(http://d.hatena.ne.jp/job_joy/20120128/1327705917)はハウスウェルネスフーズさんからC1000レモンウォータースパークリングをいただいたりもした。そんなささやかなことでも素人としては素直に嬉しいものである。

これまではの私は、エンジニアとして論文や報告、専門雑誌に文章を書くことは少なくなかったものの、常識過ぎて当然のことながら論文報告系と小説は根本的に作法が違う。書く前からわかっているではないかと突っ込まれればその通りだし、自分でもそれなりの気持ちを持って取り組んだつもりではあったが、やはり頭での理解と実際に書くことの違いの大きさに面食らう。
そもそも、このブログを書き始めたのも最初は小説を書くための練習としての比重が高く、一つにとりあえず毎日書くという習慣を自らに課すことがあり、もう一つにたとえ間違ったとしても気になった事柄について自分で考えて結論(あるいは問題点)を導いてみようという狙いがあった。継続という点についてはなんとか1年以上続いておりクリアしたと思っているのだが、文章の中身については悲しいことに未熟さを嘆くことに慣れてしまった。アップしたあとで不足や内容の不出来を反省することもしかりだし、自分なりに悩み・頑張っても考えたイメージを適切な文章にできないもどかしさは書けば書くほどに募っていく。
現状、平均すると一回あたりの文章はおよそ30分〜1時間程度で書いているが、毎日と言うよりは時間のある時にまとめて書いていることも多い。忙しくなりそうなことが予想できれば(あるいは出張で時間が取れないことがわかっていれば)事前に書きだめをしておくという感じである。
しかし、いざ小説を書こうとすると困難さは断崖絶壁を前にした登山家の心境だ。必要な時間で言えば、通常のブログの文章を書く場合と比べて5倍から10倍以上が必要となる。仮に10倍だとすれば5時間から10時間ということになるが、それでも文字量は400字詰め原稿用紙4〜5枚であろうか。
だとすると、こんな苦行を毎日のように続けている世の中の小説家たちの事は、もはや超人と言うしかあるまい。感嘆、ただ感嘆という心境である。しかもその多くは小説のみでは食べていけないであろうから兼業であるにもかかわらずだ。
小賢しくもスピードを上げようと結論を急ぐと中身が不十分になり、中身を充実させると物語の展開がギクシャクする。全体のプロットはある程度できていても、会話はたどたどしければ文章は死んでしまうし、場所や風景が描写できなければ無味乾燥な世界を描いてしまう。ストーリーやキャラクターだけでは骨と皮を用意しただけのようなもので、そこに肉付けをしなければならないが、肥満にも痩せ過ぎにもならない均整の取れたボディは容易には得られないものだと思い悩まされる。もっとも、私のレベルはとてもではないがそこまで到達していないし日々精進あるのみである。

話を戻すが、時間がないと言うことは多くの小説を読もうと思っていたことも達成できていないことを意味する。おそらくは集中力と気合いの問題なのだろうが、本当に必要ならどんな状況でも何某かの時間は作れるはずである。すなわち、読むための時間がないのではなく読むための努力をしていないに過ぎない。
ところで今更ではあるが、私が小説を書こうと思ったのは自分が専門としている技術分野に関する小説を書きたいと思ったことに始まる。それは技術のおもしろさや難しさを少しでも多くの人に知ってもらいたいという気持ちであり、同時に片隅にはチャレンジをしている人が少ないからという功名心もある。
本当に書きたいものについては現時点でもまだ資料収集中なので、すぐに手掛けられるような状況にはないが、できることならその前に文章力を向上させておきたい。そんなこんなで、今年中という時間制限を与えて習作ではあるものの中編のもの(転生師)は是非とも完結させたいものだ。

今週のお題「今年中にやっておきたいこと」