Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

人生と年齢

 昔の友人と久しぶりに出会って思うのは、人間とは歳を取ってもあまり変わらないものだと言うことである。もちろん、学生時代と一変している友人もいない訳ではないが、多くの場合は容姿は変わっていたとしても性格や姿勢は大きく変わらないような気がしている。
 もちろん、社会の荒波にもまれることで表面取り繕い方や外面は大きく変化するのだろうが、友人と再会した時に見せる態度が変わらないと感じるのだ。この性格や態度はいつ頃に個人に根付き完成するのだろうか。大きな意味で言えば一生かけて形成されると言いたいところだが、その大半は子供時代に作り上げられているような気がする。もちろん、子供時代にそれが表面化しているかどうかはわからないが故に、子供時代と性格が一変しているように見えるケースもあるだろうし、衝撃的な経験をしてきたことで本当に性格が変わってしまうこともない訳ではない。ただ、それでも多くの場合には生きていくための姿勢のようなものは子供の頃に培われるのではないかと思うのだ。
 性格は最初から決まっているという意見もあるだろうが、最初から完全に性格が決まっていると考える人は多くないだろう。おそらくは幼年期から少年期の自我の形成段階において、性格に加えて社会に対する姿勢が確定していくのだと思う。だとすれば、子供時代に最も重要なのは如何にポジティブな自我を形成していくかと言うことにあるようにも思う。ポジティブが万能とは言わないが、この時期に否定的な自我を形成してしまった場合には、大人になってからの修正は容易ではないと感じているからである。勉強も大切だと思うが、それ以上に社会に対する姿勢が最も重要だと感じる次第である。

 さて、大人になっても年代ごとに様々な状況変化がある。論語にあるように、
『子の曰く、吾れ
  十有五にして学に志す。
  三十にして立つ。
  四十にして惑わず。
  五十にして天命を知る。
  六十にして耳順がう。
  七十にして心の欲する所に従って、
  矩を踰えず。』
と、年齢というか年代ごとの姿勢というか立場が存在するのは多くの人も感じるところであろう。孔子のように四十で惑わず生きていけるかと言えば私のような凡人には難しいことではあるが、大きな流れとしては納得できる部分も少なくない。
 まず社会に対する姿勢を子供の頃に固め、次になるべく幅広い知識と経験を若い内に自分のものにする。そして、一定の時期を経て自らが人生をかけて行うことを定めそこに全力を尽くす。若い内に明確な目標を定めて行くのが悪いとは思わないが、なるべく幅広い知識を得て自分を広げるチャレンジをする方が、その後の自分にとって有利になるのだと思う。

 若い頃には容易にできることが、齢を経るに従い思うがままには行かなくなっていく。しかし、納得の上で自らが進むべき道を自分自身で決定できていたとすれば、大きな後悔なく自分の人生を全うできるのではないか。もちろん人生は人それぞれであり、終いを迎える時に納得できているだとすれば個人としては悔いはないだろう。あるいは、齢を経ても様々なことにチャレンジできる人もいるかも知れない。
 ただ、大きな流れとして40歳頃を一つのことに打ち込む境として捉えてもよいのではないかと感じている。それを第二の人生として形にする人もいるかも知れないし、あるいは教育する側に回って後進を育てる人もいるだろう。人の存在が千差万別であるように人生もありとあらゆる可能性がある。それを決めるのは、就職の時期ではなく一通りの経験を積んだ後ではないかと私は思う。
 そして、だからこそ節目節目の年齢までに自分をどのように作り上げてきたかが問われるのではないかと感じている。
 非常に大雑把なイメージではあるが、
  20歳までに心を作り
  40歳までに知恵を作り
  60歳までに為すべき事を為す
その後の人生は、自らのために使う。正直言えば、60歳以降のなんたるかなどには想像も及ばないのだが、それを知るためにも今為すべき事を為したいものである。