Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

逆アラブの春か、アメリカ版文化大革命か

 アメリカでは、ポリティカルコレクトネスがとんでもないレベルまで広がりそうになりつつある(Blah🇺🇸 on Twitter: "ポリコレにどっぷり迎合したナンシー・ペロシ、下院議会で以下のジェンダー言葉を禁ずる。)。議会で、FatherもMotherもありとあらゆるジェンダーに関する言葉狩りが始められようとしている。私は、一部の人を社会的に貶める過激な言葉は抑制されてもよいケースがあると思うが、歴史的な経緯を経て生き延びてきた言葉を規制するのは暴挙であると思うし、ごく普通に使う言葉すら失わさせるというのは反文明的であると考える。もちろんそれに異論のある人もいるだろうが、アメリカでこんなことが行われているのを見るのは、アメリカの退潮を暗示しているようにも見える。

 一方で最近あまり触れていなかったが、韓国では文政権が独裁への布石を次々と敷いている(ヒトラーの後を追う文在寅 流行の「選挙を経た独裁」の典型に | デイリー新潮)。政権交代があった時に韓国の民主主義を賞賛していたメディアや識者はどんな気持ちなのだろうか。以前、韓国にヒトラーが誕生する可能性について書いたことがあった(韓国にヒトラーが誕生する可能性 - Alternative Issue)が、ついにここまで来たかと惨憺たる気持ちになる。言論弾圧や独裁は民主主義や選挙の形を巧みに用いながら進められるのだ。

 

 このように中国の共産党による独裁的な共産主義体制が崩壊する前に、民主主義が変質しつつあるように見えるのは正直悲しい。だが、同時にアメリカではテレビや新聞以外の情報発信メディアとして君臨しつつあった、FacebookTwitterが徐々に信頼を失いつつあるように思う。法律に基づくのではなく、自らの考えにより言論の自由を規制しているのだからさもありなん。これには、トランプ大統領とは全くそりが合わなかったドイツのメルケル首相でだえ、苦言を呈している(メルケル独首相が、ツイッターのトランプアカウント停止を「問題」とした真意 | 藤崎剛人 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト)。正確に言えばメルケル首相はトランプ大統領を擁護したわけではないが、言論を制限する権利をプラットフォーマーには与えないという政治家としての決意を表明したのであろう。同様の考えは今後も広がっていくと思うし、以前にそれがFacebookTwitter社の凋落につながるのではないかと予測もした(FBとTwitterの凋落予想 - Alternative Issue)。また、トランプ政権中枢や共和党強硬派を締め上げる(Tomo on Twitter: "※上の投稿参照マッケナニーさん、漢テッドクルーズら「ハーバード大卒」の「保守」から学位を剥奪しようとしているのは、同大学の学生たち。)ような行為が提案されている。さすがに、これは滅茶苦茶だ。アメリカはどこに行こうとしているのか。

 

 民主主義の死に方(Amazon.co.jp: 民主主義の死に方―二極化する政治が招く独裁への道― eBook: スティーブン・レビツキー, ダニエル・ジブラット, 濱野大道: Kindleストア)という書籍があるが、こうした行き詰まりについて深く考えなければならない時代になった。それは人の善意を信じられない時代であり、政治が信仰に置き換わるような状況である。絶対的な正義は存在しないというのが私の持論だが、その正義を希求しながら正義に寄り掛かり他者を認めないという意識。アメリカや韓国にある政治の激しい対立や二極化は、民主主義(あるいは資本主義)の帰結として避けられないものかもしれないが、これは成長が止まった資本主義社会の終焉ではないか。日本も十分とは言えないが、現段階では少なくとの両国のような状況は避けられている。

 対立がエスカレートするとますますこのジレンマのような状況から抜け出せなくなるのだが、妥協という大人の交渉術が成立しない時代になってきたようである。それは俯瞰的なものの見方や、社会全体を良くするためのバランスの取れた認識が後退している証拠でもあるように感じる。弱者保護は叫んでも、それはピンポイントのパッチワークであり社会のバランスを保つものとは限らない。ただ、ポピュリズム的にはわかりやすいアイコンとなる人たちを救い、その他大勢に与える小さな痛みを許容せよと叫ぶ。小さな正義を得たとしても、社会全体に軋轢を積み重ねていく方法論ではないか。

 それは、結果的に中国の圧政と変わらなくなってしまいかねない。理想は、相互干渉がやや強すぎるかもしれないが、国民同士が一定レベルの信頼関係でつながれる社会のような気がする。その時、グローバリズムは勢力を弱めることになるだろう。

 

 日本のメディアの質が低いことは以前より知れていたが、日本が理想としてきたアメリカにおいてもその状況はかなり酷くなっている。メディアが第4の権力と呼ばれて久しいが、その暴走を私たちはいま目にしているのかもし入れない。そして、暴走機関車となりつつある存在と結託した政治家たちは、いったいどんな行為を見せてくれるのだろうか。なかなかに興味が尽きない。