Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

この気持ち悪さ

ターくんと頭ぐるぐる 進んでる?韓国の民主主義 朴大統領が任期前辞任へ(http://mainichi.jp/articles/20161203/kei/00s/00s/005000c

 どうせすぐに読めなくなると思うので、最後のところおだけでもここに記しておこう。

 ボクは今、韓国の政治は「やれやれ」だけど、韓国の国民は「やるなあ」と見ている。読者のキミとともに、さまざまな観点から見続けることにしよう。

 韓国の大統領に対するデモの模様を記した文章だ。暴力的なものにならなかったというのは過去の韓国からすれば進歩と言っても良いが、それが優れているとは私は全く思わない。むしろ、検察が大統領の意向を受けて政治的に検挙の動きに出たり(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161203-00000055-san-kr)、あるいは公正な選挙によって選ばれた政治家がデモによって退陣を余儀なくされるのは、民主主義の進んだ形と言って良いのだろうか。
 比較的リベラル系の言動の強いな中川淳一郎氏ですら、これは決して民主的と賞賛できる出来事とは言えないと書いている(http://www.news-postseven.com/archives/20161128_470082.html)。デモにより政権が変わるというのは、むしろ民主的ではない状況があるからこそ、それを打破するのにデモという大きな力を必要としていると言う意味において民主的ではない。

 韓国の国民は「やるなあ」ではなく、「ここまでしなければどうしようもない」という非民主的な状況に置かれているということを悲しむべきなのだと思う。では、今日本で同じ様なデモを行って運動が広がるのか。SHEALSを見ていてもわかるように、それは大きな広がりを持っていない。一方で、広がりを持たないこと自体が日本の方が韓国より民主的であることを示している。行動を起こすほどの不満を抱いていない社会なのだから。
 もちろんその状況不満と思う人は存在するのも事実であろう。だがその思いは多くの共感を得ていない。多くの日本人の心には響いていないのである。

 要するに毎日新聞の冒頭に記した文章を書いた人は、自らのルサンチマンを韓国のデモを賞賛することにより解消しっようとしているのである。しかも、子供達に伝えるという風体を取りながら。無垢な子供達には、無いが正しいかなどはわからないだろう。いや、一部の子供達はこうした大人の欺瞞を感度良く捉えるかも知れない。
 韓国人が自らの行動を自画自賛するのはわからなくもない。だが、大部分の日本人が羨ましいとも思っていないことを、あたかも羨ましがっているように書くのはどういう了見なのだろうか。それは、自らの主張と異なる安倍政権が現時点で60%もの高支持率を得ていることを認められない事に対する、精一杯の意趣返しとでも考えればよいのだろうか。

 個人的に言えば、私は韓国の現状に同情的である。蝋燭デモをするしかない状況に置かれた心境とは如何ほどのものであろうか。しかし、大統領を変えれば良くなると言うほど簡単なものでは無いのである。むしろ、状況だけ言えば国家秘密を漏らし友人に利益供与をした現状の大統領の方がマシかもしれないということすらあろう。
 国民を裏切った大統領を許せないだろうが、その先にあるのは更なる混迷のようにも見える。そんな状況に置かれる韓国国民には同情的にも成ろうものではないだろうか。もちろん、だからと言って手をさしのべろと言っている訳ではない。

 強気の言動の裏で、必死に日韓通貨スワップを再開しようと動いている韓国官僚を見るに付け、その必死さに哀れさすらを感じるのである。さて、そのような相手に私達は何を羨ましいと感じなければならないのか。何を韓国国民はなるなと認識するのであろうか。
 日本でのルサンチマンを、他国の動きで晴らさないで欲しい。日本でおかしいとおもうことがあるなら、正々堂々と日本での活動で支持を広げて欲しい。それができない限り、今の日本における政治動向が変わることは無いだろう。今回のような話を見るに付け、個人的には気持ち悪さが背筋をぞわぞわっと登ってくるのだ。
 あなたたちは、ホントに大丈夫なのですか。。。と。