Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

税金に集らせろという権力・思想闘争

 世の中の様々な国内闘争(思想や言論も含めて)を見ていると、根本は権力側につき税金を自由に差配できるようになることが究極の目的に見える。実際、会社を興してお金を稼ぐことは容易なことではない。周囲を見渡せば、数多くの会社(お店)が次々と生まれるものの、その大部分は5年もたたずに消えていく(会社の創業5年以内生存率15%は本当か? | 創業融資センター)のがごく普通の光景である。新たに会社を興し、お金を稼ぐことは本当に難しい(引き継ぐのも難しい面があるが、最初に興すよりはマシである)。公務員をはじめ、会社員や雇われの人たち(特に大企業)はそのことを実感としてよく理解できていない人が多いように感じるし、メディアなどもそうした認識が希薄に見える。結局彼らもその大部分が安定したサラリーマンなのだから。

 

 もちろん、企業後に運よく安定化や大きな成長に結びつけられることもあるだろう。その道のりも平たんであるとは思わないが、一時的な成功後ですら大企業に資本の論理で追い越されたり、時には買収されたりの危険性が存在する。会社を興す段階から銀行からは軽くあしらわれ、役所からは冷たく接せられる。その程度でくじけていては成功など覚束ないが、安定したとしても常に数か月先の資金繰りの心配をしなければならない。逆にサラリーマンとは言えど、会社の存続に気を回さなければならない時代にはなった。終身雇用など遠き日々の夢の如きである。だが、それでも常に資金繰りを考えなければならない創業者と雇用者の認識には大きな隔たりが在るだろう。

 

 そう考えると、税金というものは本当に上手くできたシステムであることがわかる。節税という名目で胡麻化そうとする金持ちは後を絶たないものの、企業からはシステムとして間違いなく税金が徴収できる。不足すれば、財務省が税金を上げるための理屈を作り、権力の座につけばその差配が可能となる。本当に必要なのは、自分のために税金を使わない政治家ではあるが、仮に政治家が潔癖であっても回りに税金に集る多くの人たちが群れる。この構造については、右も左も関係ない。いずれもが、最終的にはそれを目指している。楽にお金を手に入れる構造を手に入れることである。

 

 天下りが強い批判を受けていたのは少し昔の話ではあるが、薄給で過酷な仕事をする官僚にとってはそれがないとやっていけない、なんて話もよく聞いた。もちろん、最初から30年以上も先の天下りを期待して職に就くわけではない。官僚(特に霞が関勤務)は生半可な覚悟では勤め上げられないほどの激務である。その上で過酷な出世レースを勝ち残ったからこそ、その過程で得た情報や人脈に大きな価値がある(もちろん守秘義務は存在する)からこそ、天下りという対価に結び付く。だが、本当に優秀な人材は天下りではなく、民間から請われて新たな職につくケースもある。もちろんそれ以上の数の、民間が見向きもしない人もいる。

 かつて問題とされたのは、業界を監督する官庁が組織として再就職のあっせんを行っていたことが問題とされた。今でも、関連団体への再就職の話はよく聞く。直接の天下りが難しくなったため、2年の期間を関連団体等で過ごし、その後に天下りという話もある。企業としても、官公庁とのパイプがあることは決して不味いものではない。その上で有能な人物であれば喉から手が出るほど欲しいというケースもあるだろう。

 芸能界におけるセット販売のように、業界に押しつけてきたからこそ大きな問題になった。もちろん今でも、高級官僚が常にその席を占める外郭団体はあるが、その量はかなり減ってきている様に思う。世の中ではあまり理解されないかも知れないが、官僚の中でも優秀な人材は本当に優秀で、民間でも十分にのし上がれる様な人も数多くいる(同時に無理な人も同じ以上存在する)。

 

 さて、私が最も問題と考えているのは税金にたかる存在である。官僚がつくる外郭団体もそうだし、ある意味では同じ様な集金システムを持つNHKもさして変わらない。だがそれ以外にも数多くの税金にたかる存在が世の中には跋扈している。それと同じ以上に善良な団体や人もいるが、例えばNPO関係やある種の業界団体などは、システム的に税金からお金を得て勢力を維持していたりする。

 かつて、ある都道府県の会議で議論したことがあるが、目的を終えたNPOなどが常に目的を変更しながら団体を維持したりしており、顔が利くから公的資金を容易に集めるという問題が話題に出た。当初の目的は崇高であったかも知れないが、組織維持のために仕事を作り資金を集めるとすれば、本末転倒である。

 この前の愛知トリエンナーレでも、そうした集まりの存在が垣間見えた。確かに芸術はお金儲けには向かない。だからこそ公的資金を投入して人材育成という意見にも一理は在ろう。だが、社会的に求められない存在を税金で生き延びさせる意味はそれほど大きくはない。特に伝統文化など保存が社会的に合意されているのであればともかくである。

 

 税金は打ち出の小槌ではない。先に触れた様に、社会の中でお金を稼ぐと言うことは本当に難しい。だからこそ、税金による資金調達をする団体や個人には、それと同様以上の成果や結果、あるいは価値を証明してもらいたい。

 まあ、どこの国の政治闘争も似た様な構図にある。結局はシンパを税金により養うという形が連なっている。これは右や左、保守やリベラルという勢力や政治思潮とは何の関係もない。韓国などはその極端な例ではあるが、最終的には税金という湧き出す泉の管理人を誰が行うのかという問題に帰着するのだから。

 

 政治的な安定は社会不安を和らげてくれるが、同時に癒着や利益誘導が拡大する過程でもある。自民党政権、安倍政権の長期化がめざましいが、それが躓くとすれば税金という甘い蜜にたかる人がどれだけ暴かれるかよるだろう。

 まあ、朝日新聞などが主張する疑惑では全く足りないが、そのあたりについては十分に見ていきたい。