Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

官僚・国民・政治家

日本という国は非常に不思議な国家である。この感想は、なにも外国から見た場合の時のことを言っているわけではないし、不思議が悪いと決めつけているわけでもない。ただ、世界の他の国家とはかなり違うイメージは日本人自身も持っているのではないかと思う。島国ならではの特性もあり、他国と比べればいちいち確認しなくともお互いが信じ合えるという面が強い。こうした特性は、世界に広めようとしてもおそらく難しい。民族としての生い立ちが違うからである。
お互いに信頼し合うということは良い面も多いのだが、その信頼故に責任範囲が不明瞭になるというデメリットも有している。日本の政治が何も決められないというのは、政治が国民や官僚を信じていると言うことでもあるし、裏返しに言えばそれに甘えていると言うことでもある。

さて、国家の政策を定め推進していくのは政治家の仕事ではあるが、その全てを数少ない政治家が担うことは現実的ではない。サポートするための組織として行政機関が存在するし、政治家は国民の投票により選ばれる。政治家の行動はマスコミにより監視され、社会の狭間に埋もれやすい問題点は市民団体などが掘り起こす。
政治家は、それ以外の存在から多くのサポート(叱責も含めて)を受けているというわけだ。だとすれば、本当に政治家がしなければならないことは何なのだろうかと考えてしまう。安全保障も、経済問題も、あるいは社会福祉問題も重要な問題は山積みの現状であるからこそ、政治家が無駄な問題に時間を費やすのではなく効率的にしなければならないことをすべきなのだと思う。

過去にも幾度か触れてきたが、政治家が最も重視しなければならないことは政策を定めることではないと私は考える。最も重要なのは「いつ」それを行うかというタイミングを見極めることなのだ。取るべきいくつかの施策は官僚が準備を滞りなく行うであろうし、大きな方向性については国民が決める。問題の掘り起こしはマスコミがするであろうし、先鋭的な意見は市民団体が発するだろう。
結局、その全てに政治家が関わることが悪いわけではないが、全てを背負い込むことで最もしなければならない政策実行のタイミングを読むことを疎かにするようでは本末転倒と言える。ところが、多くの政治家達はそのタイミングについて真剣に考えることをせず、どちらかと言えば他に代替のきくことに熱心となっている。
政策の掘り起こしも、政策を深める議論も確かに重要だし、それを国民に説明したりアピールすることも重要である。ただ、それは全て政策を適切な時期に実行するための準備でしか無く、そのタイミングの目利きが聞くことが政治家に最も望まれる資質である。果たして、多くの政治家達はそのことを意識しているのであろうか。

と言うのも、成熟した民主国家となった日本では実際のところ各政党の政策方針にはそれほど大きな差がない。民主党自民党化しているとマスコミが何度も騒いでいるが、そんなものは最初からそうであるし、差を出すために無理矢理こじつけたマニフェストはことごとく砕け散った。
極端なことを言えば一部の主義主張が絡む政策は別にして、共産党社民党でさえ政権与党として政策を進めようとするならば大きな差は出せないのではないかと思うのだ。あるいは多少の政策の差はあっても結局のところどちらを先にするのかという優先順位の違いが出てくる程度では無かろうか。
その差が重要だという人もいるだろうが、私にとってはあまり大きな違いには感じられないでいる。

消費税にしても、多くの国民は将来的に上げなければならない可能性については感じているだろう。重要なのはそれがいつ行われるべきかと言うことである。TPPについても同じようなものだ。今現状の環境下で進めるのが良いのか、あるいは別の条件が満たされるまで待つべきなのか。逆にどのような条件が整えば参加した方が良いのか。
要するに将来的な可能性は誰もが認めるが、それをいつ行うのが日本にとって最もよいのかという判断を示している政治家がほとんどいない。その議論が持ち上がらない。むしろ今でも既に遅すぎるという意見が飛び出している。仮に遅すぎたのなら、戦略は新たに練り直すべきで駆け込みで政策を実行しても碌なことにはならないだろう。

日本という国は信頼関係で成り立っている。政策のパターンを作り上げる官僚がいて、その大きな方向性を国民世論が指し示し、そして政治家が実行すべきタイミングを見定める。それぞれの役割がはっきり認識していないからこそ不明瞭な状態が作られているのだ。そして、責任感の強い官僚(もちろん、それだけではないが)が全てを取り仕切るようになる。
政治家達は、政策のタイミングをもっと語らなければならない。