Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

電気の重要性と自然エネルギー

 台風の爪痕は千葉県を中心に、想定以上の被害を引き起こしている(千葉県停電、成田などの復旧めど立たず 「想定より大きな被害」 - ITmedia NEWS)。被害に遭われた方々の少しでも早い回復をお祈りしています。

 そんな中、吉野家のキッチンカーが被災地に乗り込み営業している(台風被害で「吉野家キッチンカー」出動 「助かります」「ありがとう!」...称賛相次ぐ : J-CASTニュース)という情報があり、一方で無料で配らないと文句をつけている人がいた(痛いニュース(ノ∀`) : 千葉県民さん、被災地に出張した吉野家が有料と知り激怒してしまう - ライブドアブログ)。既にネットでは相当に叩かれているようだが、定価で販売するとは非常に良心的である。阪神淡路大震災の時には、豚汁かすいとん的な食事が800円から1000円で売られていたことを思い出すと、企業の支援対応も進んだものだとの感が深い。

 

 さて、今回の被害では電気系統の復旧に時間がかかる(千葉、31万戸なお停電 - ロイター)のが大きな問題となっている。一部では「政府の対応が遅い」とか、「こんな時に組閣するのはおかしい」だとかの意見(内閣改造より被災者を、政府やメディアに批判の声 - 芸能 : 日刊スポーツ)もあるが、政府は素早く対策室を立ち上げ、必要に応じて行動を起こしている。これも阪神淡路大震災の時と比べると雲泥の差があり、過去の経験から学び対策が進んでいるのだと感慨深い(台風被害 停電の怖さ ただ対応において成長していないのは誰? 政府?野党?地方自治?メディア?住民?)。もちろん完ぺきではないし、今後の検証も必要だろう。だが、劣化しているわけではないことを再度認識しておく必要がある。

 また、今後の幹線の地中埋設化については検討の余地があるだろう。これも台風には効果的だったとしても、浸水や地震にどの程度耐えられるかの疑問はあり、場所や状況に応じてそれぞれ適切な策を講じる必要はある。災害は、発生確率とその際の被害規模によりランクがつけられ、電気に頼る現代社会はそのインフラ維持が高く求められる。 

 ところで、今回の被害では太陽光発電を始めとする自然エネルギー系発電の災害に対する脆弱さをまざまざと見せつけた(鉄塔倒壊、パネルから火災も=「最強級」の爪痕深く-台風15号:時事ドットコム)のも特徴ではないだろうか。今まで以上に強風などへの対策や発火対策が必要になるが、それはすべてコストアップに跳ね返ってくる。さらには、まだ問題となっていないが壊れた太陽光パネルに含まれる物質(鉛、セレン、カドミウムなどの有害物質)の流出による環境汚染(2040年、太陽光パネルのゴミが大量に出てくる?再エネの廃棄物問題|スペシャルコンテンツ|資源エネルギー庁)が気になるところである。元々、太陽光パネルについては破棄・再処理時の環境汚染が大きく危惧されていた。この点については、国民的な議論がなされるべきではないかと考えている。

 

 逆に言えば、今回の件は不幸な話ではあるが日本という国の社会が電気にどれだけ依存しているか(「電気」に依存したライフスタイルと電力行政)をわからせてくれる出来事でもあった。想定以上に問題が深刻で、いろいろな対応がとられてはいるが、今なお問題は山積みである。熱中症等で倒れられる方が少しでも少なくなることを願ってやまない。

 ところで、同じような出来事は昨年の北海道における大規模停電(日本初の“ブラックアウト”、その時一体何が起きたのか|スペシャルコンテンツ|資源エネルギー庁)でも生じている。幸いに冬ではなかったため、停電が致命的な事態に発展することはなかったが、電気網の余裕度を含めた重要性を痛感させられる事態であったのは間違いない。そして今回も、夏場の暑い時期ということで冬の北海道ほど高くないものの、それでも地域によっては命を落とす人が出る可能性は十分にある状況である。

 さて、それで思い出すのが東日本大震災後に巻き起こった反原発活動において電気の扱いを軽んじた人たち(坂本龍一が反原発運動で「たかが電気」発言 ネットで「電気で儲けた人が言うか」と疑問の声 : J-CASTニュース)である。その時にも大きな批判が出たが、電気に依存しない生活を推進するというのは一つの考え方ではある。ただ、現実には私たちの生活はますます電気や情報網に依存している。

 

 電気が安定供給できなければ、不便なだけではなく実際に人が死ぬ。それは病院が最たるもので、電気が止まると生命を維持できない人は多い。だが、それ以外にもいくらでも人の死に至る可能性がある。あるいは情報網が寸断されると、日本の経済は麻痺してしまう。これもまた、そんな簡単な問題ではない。戦争は避けるべき事態であるが、それ以上に送電システムやネット等の情報網がテロ等により寸断されると身動きが取れない。それが、現状の便利さの代償として私たちの社会が抱えるリスクである。

 一つには電気や情報に依存しない生活を送るという考え方があり、もう一つにはそれらのセキュリティレベルや安定供給に力を入れるという考え方がある。前者を個人的に選択することは自由であるが、社会全体は便利さを捨てられない。むしろ、益々電気に依存する社会を構築しようとしている。

 原子力発電に反対する人たちも、実際には電気に依存し、電気を使いながら生きている。原発以外の代替案として自然エネルギーを推進すること自体は間違っていないが、どのような突発的な問題にも耐えられるように異なる発電システムを準備することが(電源のベストミックス - 安定供給に向けた取り組み | 電気事業連合会)何より重要であり、性急に極論を掲げて押し通すことには賛同できない。

 

 原発のみが最適というつもりはないが、日本としてはあらゆる方策をにより電気供給の余力を如何に確保するかが最大の検討ポイントであると思う。東日本大震災の後、電力自由化自然エネルギー活用論者が機を得たと力を増したが、結局のところ極端に走るのではなく、バランスと冗長性を確保することこそが目指すべき道であろう。

 思想が絡むと、極論委に走りやすくなる。だが、人の命がかかっているからこそ、原発の安全性にも再度冷静で論理的な議論が必要ではないかと思う。