Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

義務を放棄する人々

結婚しない・結婚願望がない理由は、「面倒」「出会いがない」(http://wol.nikkeibp.co.jp/article/trend/20140205/172841/

 上記リンクにあるような婚姻の話とは関係ないかもしれないが、給食費の不払いや国民年金保険料の未納問題などは社会のルールを守らない人が増えていることを顕著に物語っている。給食費や年金保険料などは、法律その他で定められた守るべき規則であり守らなければ相応の罰則や不利益も存在するが、「赤信号みんなで渡れば怖くない」程度の浅はかな考えであってもそれが蔓延することで制度全体を揺るがす問題にまで発展しかねない危うさを秘めている。
 さて、対しては婚姻は自由である。結婚しなければならないという憲法その他法律上の義務も存在しない。すなわち社会ルールにおいて一切の縛りはなく、堂々とポリシーに基づいて結婚しないことを宣言してもペナルティを受けることもない。DINKSという子供を作らない婚姻の在り方が取り上げられたこともあったが、最近では結婚そのものを諦める理由を探している風潮が見受けられる。

 主体的に結婚をしないことを自らのポリシーに基づいて決断するのは、一つの尊重すべき生き方だと思う。あるいは、事実婚という形で形式にはとらわれないというスタイルもあろう。ただ、難しそうだから諦めるというのは、受働的でかつ消極的な決断ともいえない単に流された結果である。
 言い訳のように様々な理屈をこねることは可能であるが、だからと言ってそこに漂う寂寥感まで払拭するのは難しいだろう。それは、自分自身も屁理屈をこねているというか無力さを感じているからに他ならない。

 確かに、時代背景の違いもあって昔と比べると結婚に対するハードルが上がってしまった側面もあるかもしれないが、それは決定的な要因ではないと私は思う。むしろ結婚のハードルが上がったのではなく、結婚しなくても良い逃げ口へのハードルが下がったと考える方が合点がいく。
 少し前までは結婚以外の逃げ口が非常に少なく、また社会的な寛容性も低かった。しかし今では一人で生きていくことは(十分とは言わないが)やる気と能力が伴うならば決して困難ではないほどまでに拡大した。また、親がある程度の資力を持つことから子供の独立が絶対条件でもなくなった(パラサイトシングル)。あまつさえ引き籠りなどの社会的逃避(もちろんそれ相応の理由があるのは理解している)も一定以上の社会認知を得て、なかなか結婚しない程度のことが相対的に大きな問題とされにくくなった。

 では、結婚とは社会におけるどういう意味があるのだろうか。学問的には様々な見地やアプローチがあるだろうが、無理やり言うならば社会における約束だと私は思う。社会を構成するうえで、社会をスムーズに動かし維持していく上でこれまでの時代においては結婚という慣習的な制度が意義を持っていたのである。
 逆に言えば結婚をしない人が増えるということは、今の時代においてはこの歴史的な制度が必ずしもマッチしない面もあるということではあろうが、だからと言ってすべてが意味がない訳ではない。今でも多くの人は結婚により家庭を築き、子どもを育て、その流れは繰り返されている。法的な義務ではなくとも社会を円滑に動かす上での慣習的な義務となっているのではないだろうか(もちろん罰則は存在しない)。

 結婚しないという選択をすることにより、社会に別の意味で(学術的・経済的・社会的に)貢献する人も数多くいることは知っている。もちろんそれは結婚しても可能だったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。それを論じることに意味はないだろう。
 ただ、他方で今ある社会を構成していく上で結婚という「カタチ」は各論では意味を持たないケースもあれども、総体としてはやはり重要な意味を持つ。
 もし、現代社会において過去から続く結婚というカタチがそぐわなくなっており、新たなスタイルが必要になると判断されるのであれば、最も果たさなければならない義務はその新たな形を社会的に制度へと昇華する努力ではないかと思う。そして、少なくとも難しいという消極的な理由でわざと問題を見ない状況が継続することについては警鐘を鳴らしたい。