Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

これも単なる偽装でしょ

 全聾の作曲家の正体が暴かれようとしている(http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140206-00010000-bjournal-ent)。おそらく構図を成立させるためには、その成功にぶら下がる多くの人がいたことに間違いはないだろう。今回名乗り出た真の作曲家にも自体が拡大するのを放置してしまった責任があるのは間違いないが、それでも虚構のプロジェクトを白日の下に曝したことは勇気ある行動だと思う。
 ネット上では、音楽を知らない作曲家を手放しで称賛した識者たちが曝されているが、仮に曲そのものが本当に素晴らしかったのであれば、今回名乗り出た音楽家はそれ相応の賞賛を受けなければおかしいということになる。

 そもそも、考えてみればこの構図は規模や形は違うものの食品偽装と何ら変わりはない。偽物を売りさす者とサポートする者たちがいて、それを賞賛して社会に広める者がいる。偽装された食品を出す店を紹介した多くの評論家たちがその能力に疑問を突き付けられたとは全く聞かないが、今回の楽曲を全聾だというフィルターの下に絶賛していたのだとすれば、名店だからと料理を称賛したケースと全く変わらないではないか。
 とは言え、私たちの社会は実はほとんどの部分でこのような曖昧な評価基準によりランク付けがなされており、またそれが社会に広がっていく。その虚構を広げる主体はマスコミであるが、それを利用して上手く立ち回ろうとする者は後を絶たない。

 音楽をはじめとする各種の芸術分野では、数字にできるような絶対的評価が存在しない。それそのものを否定するつもりは更々ないし、素人と専門家ではレベルが明らかに異なるのは私たちの良く知っているところであろう。ただ、ある一定のレベルを超えた時にはレベルの差(上下方向)ではなく方向性などの差(水平方向)の方が大きくなり、それが社会に(あるいはその分野の専門家の感性に)どれだけ響くかが評価を分ける。
 今回のストーリーは、素人に対しては一定レベル以上の水準を、専門家たちには評価をさせるためのストーリーを与えることになった。単純にはそれだけのことである。そして逆に言えば、各種芸術等(料理評論家も同じだろう)の専門家たちがどれだけ曖昧な主観により評価を行っているのかということを明らかにした。
 これは、学術分野においても頻度は少ないが似たようなケースは散見される。人間社会において生じる必要悪のようなものなのかもしれない。人は常に成功というものを夢見る。ところが成功とは何かは人により理解が異なる。多くの場合にはお金や名声であるが、それは社会に広く受け入れられるということに等しい。

 そして、このような状況が広がっているというのは、社会もそれを無意識のうちに一部で望んでいるということでもある。偽装食品問題も、建前で言えば決して行ってはならないものであろう。ただ、人々の虚栄心は多くの場合このような虚構さえ受け入れてしまう。もちろん自分に責任がないゆえの行動ではあるが、その責任を引き受けて行為を実行する道化がいるからこそ成り立つ寸劇ではあるのだが。
 兎にも角にも、役者はネタがばれた。一時の饗宴はこれでお開きになりそうである。ただ、テレビにおける同じような偽装はいつまでたってもなくならないのが少し癪でもある。彼らこそが虚構の伝播者なのだから。