Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

連合の価値

連合会長 賃上げ要請に不快感(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130926/k10014838211000.html

 私が知る限り、連合(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%B5%84%E5%90%88%E7%B7%8F%E9%80%A3%E5%90%88%E4%BC%9A)とは労働者の地位向上を目指す組織だと思っていたが、むしろそれを阻むこともあるらしい。
 労使交渉により賃金アップが成立するのが理想であるのはわかるが、それならばアベノミクスの成果(この場合は手段でもある)としてのベースアップを政府とともに要求するスタイルを取るべきであった。民主党時代には政府とのつながりを有していたのであろうが、その時にはベースアップの要求を出すどころか雇用確保で汲々としていたのだから皮肉なものである。

 言い方は悪いが、結果よりも過程に拘るあまり本来の目的を忘れ去っているとしか思えない。過程が大切なことは間違いないが、それは不当な(あるいは禍根を残す)過程を取らないという意味であって、自らが固執する方法でなければ許容しないというものではない。
 過程に足を取られるということは、結果よりも過程に価値を見出しているという面が少なからずあるということであろう。そして過程を重視するということはそれに携わる自分たちのことを重んじているということにもつながる。意地の悪い言い方ではあるが、「賃金アップの仕事は自分たちの独占的権利である。それを邪魔することは許容しない。」と主張しているのと何も変わらないと思うのだ。

 自らの地位や価値を確認することは悪いことではない。ただし、それは正当な目的に向かっているという検証作業なしには迷走しかねない危険性を孕んでいる。もちろん、こうした状況は何も今回の連合に限った話ではない。誰のために働いているのかわからない官僚や政治家たちも、大きな動きとしては決して悪いことをしようとしているわけではないのかもしれないが、少し気づけば自らの目的と自らが果たす役割とがごちゃ混ぜになってしまい、ほんの少しの自己保身の気持ちが考えている以上に目的よりも過程を高きに置くことに至る。

 これまでも何回も書いてきたことではあるが、人でも組織でも自らが積み上げてきたものを容易に崩せない。それは仲間内における信用にも直結するし、自らの思想のよりどころでもある。ただ、方法論を思想にしてしまうことには大きな危険性が潜んでいる。
 実のところこうした手法は自らの思いを強く補強するが、同時に思考の硬直化を招いていまいがちである。難しいのは、当事者にとっては自らの思いを強くすることが正しいと見えてしまうことであろう。これは解決ではなく継続を望んでいるという姿勢となって現れる。
 中国との尖閣を巡るやり取りも、韓国との様々な争いも、日本側が落としどころを探っているにもかかわらず、彼らはそもそも収めるつもりがない。むしろ、この状況が継続することがメリットだと確信をもって信じている。だとすれば、そこでどのような議論を続けたとしても話し合いは平行線にしかならない。双方の目的が異なるのだ。

 さて、こうした手法を目的化する戦略は短期的には効果を発揮することもあるだろうが、長期的には自らの望む結果に至る道筋を遠ざけてしまうという副作用を生み出す。できることなら、再び初期の目的を見直すことで現状を鑑みるというのはどうだろうか。