Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

景気は天下の回りもの?

野田総理が打ち上げている増税論議は、党内ですらまとまる気配がない。デキレースなのかどうかは私には判別できないが、有無を言わせず数年後に増税という初期の提案から、景気の回復を見ての増税とやや方向性を変更しているように報道されている。
ただ、この変更は正直言えばまやかしに近い。この程度の文言を織り込むことで同意するようであれば、やはりデキレースだと言われても仕方あるまい。増税反対派もポーズだけと言うことである。

まず、私自身の考えはロングスパンでは増税賛成、ただ現状では増税すべき時期ではないというものであり、現在の増税反対派の多くも似た感じであろう。一切の増税を認めないとする議員はそれほど多くはあるまい。
ただ、増税の前提として議員報酬の引き下げなどを持ち出している向きに対しては議論のすり替えではないかと考えており、それこそポーズを決め込んでいるだけのように思う。マスコミも、まず議員が身を切れという心情論を展開しがちであるが、個人的にはそれは非常に些細なことであってあまり興味はない。むしろ、しっかり働く議員に対しては別に議員報酬を引き下げる必要などはないと思っている。まあ、無能な議員や地方議員などは引き下げても良いと思うが。
また、議員定数是正問題はまた別問題であって増税議論からは切り離すべきだと思うが、問題を攪乱するためにごちゃ混ぜにして持ち出している感じもしなくはない。

さて、最初に書いた現在政府の方が提案している景気回復の状況を見ての増税には大きな欺瞞がある。それは、景気回復の定義を数値的に行っていないことである。観念的な景気回復などを条件にしても、実質的には何の意味もない。政府が景気を回復した(または回復に向かっている)などと認定すればいつでOKということになるので、実質的な拘束力はほとんど無いだろう。
財務省的には、フリーハンドをなるべく維持したいがためにこのような緩い条件を提示しているのではないかと感じてしまうところであもある。

次に、では景気回復をいつまでにどのように図るかについても一切触れていない。景気の循環は確かに存在するが、それは社会が定常的な成長を果たしている状況下においてである。失われた20年とすら呼称される現状の日本において、それが回復する責任を一切負わなければ政治の意味がないではないか。
まずは、どのような手法を用いていつまでを目標として、どこまで(数値的に)景気を回復させるのか。目標として明示せずに「景気が回復したら増税します」などと言っても、これでれは口を開けて餌を待っているひな鳥と何も変わらない。政治とは明確な目標を打ち出して、それを実体化させるために行うべきものである。それ無しの偶然に期待するのは政治とは呼ばない。

今の日本に増税が必要なことについては多くの人も認めている。それは、現状税収と給付のバランスが明らかに崩れている日本であるから当然のことであろう。もっともそのバランスを崩したのは最近のことではない。かなり昔からそのバランスは崩れていた。単に日本が成長し続けていたため成長により崩れていたはずのバランスが覆い隠されてきていたに過ぎない。
はっきり言えば、子供達のお金を老人が先食いしていると言っても数字の上ではあながち間違ってはいない。実際に、年齢ごとの年金支払いと給付の関係を見れば、現在の50歳以上は給付の方が多いがそれ以下はマイナスであり若いほどそれが拡大する。国の借金にしてもその恩恵を受けてきたのは今の若い世代や子供達ではないのだから。

さて増税が必要なのはそのとおりであるが、では今すぐにしなければならないかと言えばこれもまた話が違う。例えば、2005年頃には財政のプライマリーバランスがほぼバランスする寸前まで行っていた。すなわち景気が良ければ増税の必要は低くなる。残念なことにその後のリーマンショックにより一時的な落ち込みが生じてしまった。そして輪をかけるように経済政策音痴の民主党政権により状況が悪化し続けている。だから、本当は増税議論をする前にすべき最も重要なことは景気対策なのである。ところが、民主党政権になってからまともな経済対策を聞いたことがあるだろうか?私は寡聞してそれを聞いたことがない。為替対策についてもまともな対応を見ていないし、日銀との連携もほとんど見えない。
要するに最も重要なことを何もできずに、現状の悪い状態のままで増税の必要性のみを大きく取り上げている姿勢が間違っているのである。
確かに景気は変動する。しかし、だからと言ってそれを水物と放置することが良い訳はない。だから、景気を回復させると口だけではなく自らの行動を律することが何より重要であり、そのためには景気を「いつまでに」「どのような方法を用いて」「どの程度まで」上昇させるかを明確に宣言する必要がある。もちろん計画であるからそれが必ず実現するかどうかはわからない。ただその強い意思無しに気持ちだけあっても何も変わらない、変わるはずもない。

「景気の脈動は人の手の及ばないものかもしれない。それでも国家の盛衰はそれを司るもの指揮次第である。」