Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

橋下改革を考える

私はこれまで橋下大阪市長には肯定的なエントリを書いてきた。それはこの不確実で将来を見渡せない時代において、また物事を決められない政治が横行している状況下において一面の希望を感じさせる行動を取っていることがある。
ただ、それでは彼の政策を手放しで賛同するかと言えば、それはまた別である。政治的な新鮮みや社会に与えるインパクトは評価するが、個々の政策としては賛同しかねるものも少なくはない。そこで、私なりに考える橋下大阪市長の施策や政治姿勢について考えてみたい。

まず、マスコミでもさんざん言われていることではあるが、小泉元総理と同じように彼は敵を作ることが非常に上手い。他の人が知りつつも手をつけられなかった潜在的な問題を掘り起こしたものであり、かつそのことは国民の支持を得ている。要するに公務員と労組叩きである。もっとも、この場合には両者は一体不可分の存在として扱われている。
これは敵を作って叩くと言うことでもあるが、同時に改革のポイントをそこに定めていると言うことでもある。単なる人気取りのためのみではない。自治体の財政状態を改善するために自治体のみでできることは、実を言えばたかだかしれている。税制は原則として国に依らなければ変えられない(地方税は増額できるが、それにより全てを変えることができる訳ではない)。景気対策なども地方自治体で少々行ったからと言って効果などしれているし、それを打つために財政支出をすれば本末転倒である。国にはお金をすることができるが、地方自治体にはそれができないのだから。
結局、増収を図るために地方自治体が打てる手はかなり限られているか、あったとしても即効性がない。逆に支出を削ることは大きな反対は受けるだろうが方法論としては即効性が期待できる。

要するに、自治体が財政再建においてできることは主に支出を削減することであり、そのために支出の多くを占めている部位を絞ろうというのは正攻法である。府知事時代には、一旦教育に振り向ける支出も絞ったようだが、結果的には絞る前以上に手厚く予算措置を執ったと言われている。
今多く批判されているのは、教育基本条例関係やアンケート実施などむしろそうした財政支出抑制に関する部分ではない部分が多いが、単純に考えれば改革を進めようとするからその部分の正論では敵わないために別のミスや対立点を見付けて引きずり下ろそうとされている。
ただ、一般市民(特定の意味の「市民」ではない)からすればこうした対立点自体が公務員などの傲慢とみなされてしまうために、こうした行為が却って橋下市長側に有利に働いているように見える。

公務員給与引き下げなどについては、一部の地方都市などでは既にかなり早くから取り組まれているのも事実である。現状のラスパイレス指数は100を下回っている自治体も少なくはない。ただ、民間の疲弊はおそらく公務員が考える以上に深刻であり、それ故に公務員に対する不公平感はぬぐい得ないであろう。それは絶対値としての給与の高さではなく、相対的な問題なのである。
ただ私は以前より書いているが、第一には公務員給与を引き下げることを考えるよりは、民間給与を引き上げることを最も重要視すべきであるとしてきた。引き下げを強引に進めるのは経済の仕組みから行けば縮小均衡を狙うものであるので、よほどの不当な利益を得ているような場合であれば別だろうが、そうでない部分については経済的に望ましいものではない。
公務員について言うならば、若手の給与が民間と比べて極単位高い訳ではない。むしろ、高齢の職員の方にポストの都合などでまともな業務無しに高級のみ与えているようなケースの方がずっと問題であろう。
私自身不十分な情報で判断している部分もあるが、現状の橋下市長の政策はこうした細かい調整についてはあまり重要視されていないようにも見える。これは、結果の見えにくい微調整を行うよりもわかりやすい政治を目指しているためだと思うが、具体論の時には十分配慮する必要があるだろう。
さて、民間の給与を上げるために地方自治体にできることは無い訳ではないが限定的である。それ故、自治体側からすればまず民間とのバランスを図ろうとすることも理解できる。理想論を追いかけるよりも現実的な次善の策だと言うことであろう。

教育改革については、現状イデオロギー論争となっている。私自身は、教育に先にイデオロギーを持ち込んでいるのが日教組などの一部の教師だと思うので、橋下市長の対応自体は現状においては肯定的に捉えている。ただ、競争原理の過度な信奉には他の経済政策も含めて少々疑問は抱いている。世界的にもアメリカの取るような競争社会が大きな格差を引き起こしているのも間違いない。
行きすぎた政策をそれを理解した時変える柔軟な判断が仮に橋下市長にはあったとしても、それを制度化したとき後任者が杓子定規に取り扱わないかという難しい面が残っている。
良い独裁はトップが健在の時には裁量や判断が機能的に働くが、それがいなくなった後に硬直化したり強引な判断が為されるなどより大きな弊害を招くことが問題だからである。橋下市長がいる間は上手く行っても、その後に上手く行くとは限らないのが難しい。

私が橋下市長の政策で懐疑的に見ているのは経済政策である。いわゆる新自由主義的な市場に任せて競争を持ち込めばそれで上手く行くというスタイルがかなり見える感じがしている。それは顧問として新たに呼んだ人選などからも窺い知れる。私はこの点については橋下市長の政策にはどちらかと言えば否定的である。
日本の強みは弱肉強食の争いの中からトップを選ぶスタイルではない。むしろ、強力と調和によって力を発揮するタイプである。中国からこんなたとえで言われることもあるが、一个日本人是一条虫」 「十个日本人是一条龍」 「一个中国人是一条龍」 「十个中国人是一条虫」 これは「日本人は一人では虫、十人になれば龍になる」反対に「中国人は一人では龍、十人では虫になる」という中国人なら皆知っている言葉だ。それは悪い意味に考えることもできるが、同時に日本人の強みを表していることでもある。個としての日本人の力を伸ばすことは重要な課題であるが、その結果として集団としての日本人の力を削いでは意味をなさない。
あくまで私の抱くイメージ論なので理解が間違っていたりあるいは今後修正されるかもしれないが、政策全体を通して個を伸ばせば全体も伸びるイメージで見ているような感じを受けている。仮に、現状の停滞感を打破するために大きなインパクトを与えようと敢えて打ち上げているとすれば、現状の政策初期よりもその仕舞い方について配慮が何より重要になる。

国政についての大きな政策は、現状においてはあくまでイメージ戦略でしかない。地方だけではできることが限られているので、実現性云々よりもそこに大きな楔を打ち込もうとしているのであろう。そのこと自体については理解できる。さらに言えば政治的な流動性の高いこの時期に動くべきであるという機を見た動きであることもわかりやすい。
ただ、多くの人も言っているように大阪市の改革が中途半端になるようであれば本末転倒でもある。両者を本当に並行で処理できるのかを考えると、茨の道が見えてくる。

それでも、これまでの慣行を打ち破る力については期待している。できることなら、今言っているようにある程度の流れができた段階で維新の会が発展的解消をすることだけは、愚かな元総理とは違い実現して欲しいと願っている。

「より効率的な政策決定システムは短期的には効果があるが、長期的には弊害が増加する。緊急時に持ち込まれるシステムが、緊急性を超えて長期にわたらるところから既得権益かが始まる。それを防ぐには常にシステムを変えることしかない。」