Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

馬鹿を装う

「鼻につく」とは自らの行為や立場を自慢げに示す人に対して称する言葉ではあるが、どちらかと言えば実態よりも上に見せようとする行為が他者の癇に障りやすい。逆に言えば、実態よりも低く見せることは他者の侮蔑を招くこともあるかもしれないものの、安心して接してくれるというメリットがある。
実態よりも低く見せるというのは、「馬鹿」と冗談で言えるような存在と思えばわかりやすい。あくまで実態より低く見せること、すなわち馬鹿に感じるくらいであるということであって、本当の馬鹿であるという意味ではない。この場合の馬鹿は、どちらかと言えば愚鈍さという意味ではなく、一途さや愚直さが許容範囲に収まっている場合を指す。ちなみに関西では同義の言葉は「アホ(阿呆)」であるが、ここでは「馬鹿」で統一する。
この馬鹿さ加減には多少のわざとらしさも許容されるものの、それが酷くなれば却って「鼻につき」かねない。
あくまで一般論ではあるが「馬鹿なくらいが可愛い」という言葉があるように、愚直な馬鹿はあまり嫌われることはなく、どちらかと言えば可愛がられやすい。それは、男女関係でもそうだし、職場などにおける上下関係でもそのように思える。それはなぜであろうか?

馬鹿を装う典型の存在としては、サーカスなどでおなじみのピエロがある。日本語としては道化(師)と呼ぶこともある。このレベルに至るとそのものが職業として成立するくらいであるから、単なる馬鹿と分類するのは少々畏れ多い。この道化という馬鹿は、本当のところ能力があるのに場を和ませるためにその能力を発揮する。要するに、ムードメーカーである。人を笑わせ、楽しい気分にさせる。でも偶に驚かせるほどの才能も垣間見せる。見事なエンターテイナーだ。
道化は、息を呑むような緊張が続くサーカスにおいて、観客がこわばらせた彼らの体や心を解きほぐす重要な役割に担っている。すなわち、そこには緊張とは反対の安心や気楽さが必要になるわけだ。
そして、安心感や気楽さを演出するのが、一見馬鹿に見えるようなコミカルな演技である。演技には愛嬌が溢れているが、その愛嬌は馬鹿に見える存在の安心感が醸し出している。

普段の生活でも、無能さに呆れても愛嬌は感じないが、努力の方向が効率的でないという方向性の違いなどは、呆れながらも愛嬌が感じ取れる。すなわち、馬鹿ほど可愛いと言われる状況であろう。この場合の馬鹿はトータルの無能さを表す馬鹿、すなわちその行動に思いがない存在ではなく、一部において障害を厭わない素直さを表す馬鹿を意味している。これは、努力や思いの強さがあることはよくわかるのだが、それが実を結ばない方向に向かってしまっていることによる。そのずれがコミカルさを生み出して、思わず笑いを生じさせるような精神の緩和を誘発する。
ただし、この馬鹿さ加減が許容される条件には一つ重要なことがある。それは、その馬鹿さ加減を許される存在が周りのものから比べて庇護されるべき存在であると言うことだ。庇護する側に対して馬鹿さ加減がいつも許容されるわけではない。

「馬鹿な子供ほど可愛い」という言葉も存在する。これは、出来が悪い子供の方が気になって手がかかるもののついつい世話を焼いてしまうことを言う言葉である。我が子のことであるが故に甘く見がちではあるが、それでも部分的には同じような心理状況がそこには存在する。これも庇護される対象である子供のことだから許されるという意味がある。

可愛さは、それを見るものの心が落ち着き安堵するところから感じられるが、そこには庇護するものとして自己を認識するが故の感情が存在する。「馬鹿が可愛い」のはその行為が庇護されるべき存在であることを訴えかける面があるからではないだろうか。それは、見るものの心にゆとりと余裕を生み、それが馬鹿を許容するのだろう。
道化のそれが庇護を主張するわけではないが、明らかにミスの多い弱者を演じることで似た状況を作り出す。あくまでエンターテインメントの一部であるが故、それは一瞬の出来事で後まで尾を引くものではないが、自らの立場を低くすることで相対的に演技を見るものの立場を上げているのである。

すなわち、相手の優越感をくすぐることで自らの安泰を確保する。そうした駆け引きがそこには存在する。
二者の関係で部分的ではあっても明かな優越が存在するならば、この馬鹿さ加減がそれを明確化して庇護するものと庇護されるものの関係を無言のうちに明らかにする。可愛らしさとは、その関係性の中で生まれてくる感情ではないかと感じている。

「明確な上下関係が無くても可愛さを感じることは少なくない。それは、自己の中で擬制的にそれを想定しているのではないだろうか。」