Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

不明瞭な戦争の終結を目指す

第二次世界大戦終結して、65年以上を経過している。
その後、冷戦などはあったものの破壊を伴う直接的な戦争は地域紛争に限られてきた。
ただ、第二次世界大戦までの戦争は植民地競争の一環としての様相も少なくない。
日本にしてもドイツにしても、植民地競争では出遅れた国である。
かなりおおざっぱな話にはなるが、植民地政策は国外からの収奪による富の獲得競争であったと言えなくもない。

その争いの末に植民地の独立が成し遂げられたのは一種の皮肉のようにも感じられなくはないが、経済の世界的な底上げが波及した結果とすれば第二次世界大戦があろうが無かろうが生じていたことと考えてもおかしくはない。

世界各地で独立国が生まれると、その後は全てを無視した極悪非道な簒奪は影を潜め、別の形での富の移転が企てられる。それは、世界ルールの一方的な策定により先進国と呼ばれる既に富を蓄えた国々に有利になるようなシステムの構築であった。その結果、先進国は建前上は合法的なルールの下で以前よりは穏やかに富を得る方法に転向した。

日本のように一度富を失った末に再度欧米に肩を並べられたのは、様々な僥倖はあったかもしれないがそれでも脅威であったことは間違いない。それはアメリカの都合による部分も少なくなかったであろうが、結果的には欧米はある種の恐怖感を抱いたであろうことは想像に難くない。一時は合法的に簒奪する以上に稼がれたのだ。最近では聞かれない言葉であるが「日米構造協議」なんて話もあった。要するに、「お前が勝ちすぎだから、調整するぞ」という流れである。
かつての日本は、今の中国や韓国でもある。
米韓FTAが韓国にとって必ずしもよい内容とは限らないとここに来て報道されているが、なぜそんな一種の不平等条約的なものを結ばざるを得なかったのか?先ほど出した「日米構造協議」に近いイメージを抱いてしまうのはちょっと穿ちすぎであろうか?

結局のところは、現在も緩やかな戦争は続いている。
いかに合理的に他国の富を自国に得るかという競争である。
かつての武力戦争は一方的な無法であったのか?
確かに今考えるととんでも無い無法であったのは間違いないかもしれないが、それでも戦争をする上でのルールが皆無であったわけではない。どちらかと言えば武力戦争なりのルールは存在した。
今も、経済戦争という名の戦いが一定のルールの下で続いている。そして。もちろん日本もその参加者の一人である。

めでたいことに日本は経済戦争に参加している自覚が非常に薄い。
富める国である日本は、経済戦争で奪われる富を有している国家なのだ。
東アジア共同体などと言う幻想にも近い概念を持ち出す政治家もいるが、果たしてそれが日本の生き残り策として上等なものであろうか?
もっとも、この経済戦争。日本の物作りによる一時的躍進から、その後は実質的に欧米、特にイギリスとアメリカが金融という武器を引っさげて主導権を握ってきた。ただその手法としては、金融業界の様々な新しいルールを世界にルールとして押しつけることで実現してきたのだが、その自分勝手な(でありながら一定の論理を有する)ルールが現状破綻を兆し始めている。

これら戦争状態の継続について、なぜ日本人がその認識を強く持てないのか。
それは、おそらく歴史経緯による部分が強いであろう。
確かに日本は第二次世界大戦における敗戦を経験した。明治維新でも大混乱を経験してきた。
それでも日本という国は他国と奪うか奪われるかの争いに明け暮れた経験は少ない。そのDNAが日本人の中に息づいているからこそ、国民は和を大切にする。そして、その和の精神を国際舞台にも当てはめてしまう。
しかし、世界の国々は日本など比較にならないほど奪い奪われの歴史を繰り返してきた。その考え方は平和の時代である現在でもDNAの奥底に根付いている。
だから、日本と他の国は認識が微妙にずれる。
お互いに生き残るのか、自らがまず生き残るのかの違いである。

ただ、永らく平和が続いてきて世界の感覚も少しずつではあるが変わり始めていると感じる部分もある。
日本の民度が賞賛され日本的な感性が理解され始めているのは、現代において社会を持続させるためには和の精神が重要であることを世界も少しずつではあるが理解し始めているのだと感じている。
目に見えない、世界を覆う奪い合いのDNAを少しずつ変質させていくことができるのは、日本的な持続性のある社会を今以上に認識することではないだろうか。

「押しつけではなく、自然に受け入れられる。その素地はできつつある。」