Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

母性本能と虐待

母性本能が全ての女性に備わっているのかどうかについては、男性の私があまり偉そうなことを言えるものでもないのだが、母性本能的な心理は男性にも存在しないわけでもない。それは、何かを守るという感情である。
では、そもそも母性本能という行動様式はどのようなものを言うのであろうか。
wikihttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E6%80%A7%E6%9C%AC%E8%83%BD
wikiによれば、『広義にはある種の生物の母親が種普遍的にもつ繁殖に関わる行動を引き起こす本能。狭義には未熟な状態で誕生し、一定年齢に達するまで保護者の養育なしに生存できない生物の雌親(母親)に見られる養育行動の反応および行動原理として存在するとみなされる本能のことである』とされている。
狭義には養育行動とされているが、言い換えれば種の保存のために未熟な存在を守ろうという本能に基づく行動である。
そして、広義の意味において言えばそれは男性であっても普通に行っていることであろうと思う。
弱い存在を守ろうとするのだから。

それにも関わらず、『母性本能』という女性を意味する「母」が言葉のうちに用いられているのはなぜであろうか?
基本的には、女性は出産という大きな代償を経て子を産み落とすことから、女性の方が子供に対して深い愛情を注ぐという考え方があるが、これも個体差はおそらく大きい。
愛情を注ぐケースが大部分だとは思えどそうでないケースも存在し、これらが児童虐待やネグレクトなどの社会問題となる。
児童虐待については、私が知るケースでは2つの大きな特徴があるように思う。
一つは、育児ノイローゼなどによる突発的行動。
もう一つは、母よりは女性としての自分を得んがための行動である。
もちろん、これ以外にも基本的に子供の障害などに対する極端な行動などのケースも考えられるが、ケースとしては少ないように感じている。
wikihttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%AB%A5%E8%99%90%E5%BE%85
児童虐待の例としては、統計上約60%が実母によるものであることがわかっている。その場合、約2/3は母親が在宅(無職などによる)であり、半数は貧困層とされている。さらに言えば、学歴的にも中卒者によるそれが非常に多い。

ネグレクト(保護遺棄)は、本格的な虐待に至る前段階と考えることもできる。
wikihttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88
実際に、保育所などでもネグレクト状況下にあると考えられる児童が増えているのが現状であって、児童虐待よりもニュースにはなりにくいものの社会的な広がりはこちらの方が大きいかもしれない。

現実に、統計上は児童虐待が近年になって増えているという結果になっている。
(子供の虹情報研修センター:http://www.crc-japan.net/contents/knowledge/b_situation.html
ただし、あくまでこれは通報ベースであって実数としては増加しているのかどうかはよくわからない。
例えば、殺人などについては近年こそ横ばい傾向ですが、過去からすれば随分減っているのが現状である。
私が思うには、かつて躾の範囲内と捉えられていたものも現状ではおそらく児童虐待に分類されることや、かつては家庭内のことがあまり表沙汰にならなかったなど、現状において急激に増加しているという感じでもないように思う。

ただ、件数はともかくとしてその中身が陰湿化・凶暴化しているのではないかという印象は持っている。
それは、学校などでのいじめ問題の変化と似ているのではないだろうか。
特に母親のそれについては、一種自己に及ばない自虐的行動のようにも見える。
自殺の代償行為としての虐待が存在するのではないかと思うのだ。
母親の虐待が最も多いというのは、子供と接する時間が長いという絶対的な条件があるのはその通りではあるが、同時に母性本能的なつながりがあるが故に自分の身代わりとして子供に虐待するのではないだろうか。

虐待を減らす方法として、一つには大家族化を進めることが考えられる。
それは、視線が増えることにより極端な行動には走りにくい環境を作り出すことがある。
しかし、現状のプライバシー重視の社会においてそれがどこまで可能なのかはなかなか難しい。

「何事も極端にはしる時代は、人が自らの所在を失っていることの証でもある。」