Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

持続可能な社会

Sustainable(サスティナブル)という言葉がある。「持続可能な」と言う意味を持っている形容詞だ。少し前より専門分野などを中心によく用いられるようになっている言葉である。
現状を如何に長く維持するかを問う考え方である。

かつて北海道の帆立貝漁が壊滅的な打撃を受けたことがあった。理由は乱獲だ。
その反省もあって、現在では天然物であっても採りすぎに配慮した漁を行っている。
漁を続ける上でのサスティナビリティを考慮したというわけである。
日本がいろいろと非難を受けている捕鯨についても同じことが言える。
生態系の維持が為される範囲での漁は否定されるものではないはずであるが、現状では科学的な分析ではなくイデオロギーによる反捕鯨が叫ばれている。結果的に、鯨の増加は他の水産資源を減少させるということになりかなないのだが。

水産物資源に関するサスティナビリティについては、日本の取り組みが非常に進んでいるものの、中国や韓国などはその配慮に欠けている。現実、中国は規制不足による海洋汚染に加えて乱獲の結果、近海の漁場は壊滅に近い状況だ。
尖閣諸島付近に来るのも、韓国の排他的経済水域での違法操業をするのも、漁業におけるサスティナビリティが全く確保されていないがためである。もちろん、領海が国土面積に比して小さいことや、近年の経済発展に伴う食の要求が高度化されたこともあろうが、漁民が遠征するのは必然であろう。
そして、サスティナビリティを確保していないのは韓国漁業も同じである。日本では禁止されている底引き網漁業を平気で行っているのだから、持続可能性など確保できようもない。

まずは漁業の話から入ったが、同じようなことは製造業の分野においても言える。これは、成長期であるという面も少なからず関係していようが、日本のような閉鎖的な島国では無かったという文化的な面が少なくないであろう。
要するに、奪い取り勝てばいいという思想である。他社から市場シェアを奪い取るためにはできることは全てする。そして、奪えるとなれば根こそぎ持ち去っていく。
もちろん、日本企業にもそれに近いメンタリティがあったことは認められる。ただ、日本企業の原則は共存共栄である。その中でよりよいものが生き残っていき、劣るものは市場に判断において駆逐される。
しかし、中国や韓国の思考形態はおそらく日本とは異なる。可能であれば奪い尽くす形なのだ。

もっと極端な例は、欧米の金融産業に言えるだろう。
かれらは、レバレッジという魔法を用いて湯水のようにお金を集め運用する。
電子的に移動するお金は、現実の資金の何百・何千倍にも及ぶ。
手数料で稼ぐためには、仮初めのお金であっても大きければ大きいほどよい訳だ。
しかし考えてみれば、手数料商売は市場が機能していなければ成立しない。現実に存在するお金が限られているにも関わらず、仮想のお金に一定割合で手数料を徴収すれば現実のお金を超えてしまうことすらあるだろう。それは持続可能であろうか?
つまり、過度なレバレッジは必ず破綻するのである。

すなわち、求められるは市場を食い散らすのではなく、市場を育てるという考え方になる。
安定的に市場を育て維持する。そのためには何でもありの弱肉強食の原理は、馴染むわけではない。
おそらく、資本主義はこの問題について大きな修正を図らなければならない時期に来ている。
その方法がどのようなものになるのかはまだ見えない。
ただ、社会をサスティナブルなもととして認識することに長けている日本から、新しい資本主義のあり方が見えてきてほしいものである。

「持続可能性を謳い環境で商売するものもいるので、見極めは重要である。」