Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

勇気とは何か

「勇気を振り絞って」とは、いろいろな場所で聞く言葉である。
恐れを抱くような対象に向かって努力する様を表すことが多いと思うが、実のところ勇気などを振り絞らずとも同じことを易々とこなす人もいる。だとすれば、勇気は基本的に外的な壁にチャレンジするものではなく、内的な壁にチャレンジするために必要なもののようである。
「自分との戦い」とは、まさにこのことを言っているのであろう。敵は自分自身であると。

いや、正確にはやはり敵は自分以外である。しかし、敵と対する前に自らに負けてしまい実力を発揮できなかったとすれば、それこそ目も当てられない。まずは、自分自身に打ち勝つ問題のスタートであり、それを超えなければ成功はおぼつかない。
そもそも勇気を振り絞らなければならないのは、敵対する相手を自然な形で見ていないことがある。その上においても十分畏怖や恐怖を感じることはあるだろうが、畏れは抱いても対策は打つことができる。勇気がないと言うのは、自らの心の中に形作った相手の虚像に怯えている状態であり、そは虚像だからこそ心を大きく蝕むのであろう。
この虚像をきちんと直視すること。それが恐怖に打ち勝つことと同じであり、振り絞るべき勇気の対象となる。

一般的には勇気を出せないことを意気地無しと呼ぶ。意気地とは気力のことを表す。
勇気は、体力ではなく気力である。すなわち心の問題なのだ。
一方で、無謀な勇気を出すことを蛮勇を振りかざすと呼ぶ。
これは自らの心の訴えや、心に潜む恐怖から逃げた上での無謀なチャレンジを意味する。
行動としては勇気ある行動を取るかもしれないが、そこには問題を見定める気力は存在しない。

本来、難しい問題や難敵に相対するためには、自分の全力を出せるようにすることが最も重要だ。それには、普段から自分の能力を上げるように努力することが有効である。もっとも、自分に十分な実力があることを認識していたならば、少々困難な問題であってもわざわざ勇気を出す必要など無い。
勇気を求められるのは、自分の力量を超えるのではないかと疑念を持たざるを得ないような問題に直面した場合と言えよう。

正しくは、自分の手に負えるか負えないかを見定めること。
負えると判断すれば、その問題処理(あるいはライバルとの競争など)に必要な力を発揮することができればよい。
一方で負えないと判断すれば、自分のみならず別の協力を仰いだり、場合によっては撤退することも重要である。
敵わない相手に無謀にチャレンジすることが勇気でないことは多くの場所で語られている。
畏れを素直に認めること、、、それは畏れのレベルを推し量っていると言うことを意味する。
それが自らの手に負えなければ、変なプライドなど何の意味もない。撤退するも勇気である。

では、勇気を出すためには何が必要であろう。
基本的には勇気を振り絞らなければならないという場面は、自らが望まないにも関わらず自分の判断しきれない問題に直面した場合であると思う。要するに、どの程度の対処が必要かが自ら推し量れないというケースである。
しがらみがなければ、おそらくこういうケースでは撤退が一つの判断となるはずであるが、それができないからこそ勇気が必要とされる。
こうしたケースでも、問題とそれを取り巻く全体構造を冷静に見ることは重要である。
撤退時のペナルティと、問題処理で受けるダメージのどちらが大きいか。結果としてダメージの少ない選択をすればよい。

しかし、勇気を出すか出さないかを逡巡しているときには、おそらく全体の比較などできる心の余裕がない。
だから、必死に局所的なメリットデメリットに思いを巡らせて堂々巡りの思考に陥るのだろう。最小のリスクがどこにあるのかと。
だとすれば、勇気を出すために最も必要なことは開き直りである。当たり前の結論ではあるが、蛮勇を出すこととは異なる。開き直って、リスクを覚悟してきちんと冷静に考えることである。そして、開き直りは覚悟なのだ。
最小限のリスクを負うことに対する覚悟を決める。勇気の代償は、その犠牲の上に成り立ちうる。
これは、見えないリスクを見えるリスクに置き換えると言うことである。
人は、わからないものに恐怖する。見えるリスクは我慢の程度が予測できるものである。

勇気を振り絞ることは、計りきれない恐怖を計れる苦痛に置き換える作業である。
その苦痛を受ける決意を抱いたとき、その苦痛をもっと少なくできる方向への冷静な判断が可能となる。
もちろん未知の問題処理で受けるリスクを完全に理解することなどできはしない。
だから、この受ける苦痛はあくまで想定のものでしかない。
しかし、その想定を自分自身で受け入れることにより、覚悟が決まるのだ。

「勇気とは自分の受けるであろう苦痛を定めることにより、問題に対して冷静になることを意味する。」