Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

親日の懼れ

 韓国の強硬な反日言論活動は、単純に日本憎しだけではなく中国という後ろ盾(存在も資金も)を得てのものであることは既にある程度の人は知っている。しかしそれ以上に大きな理由として、放っておくと韓国という国家が親日に染まってしまうかもしれないという恐怖なのではないかと私は思う。
 台湾の現状などを見て考えれば、日本人としては親日であることの方が随分大きなメリットになるではないかとの感想を抱くであろう。ただ、現実には韓国の利益の多くは中国との貿易により得ており今では日本よりも中国との報が経済的なつながりは深い。中国が外交戦略とは言えども日本と敵対している状況では、日本ではなく中国を選択せざるを得ないだろう。もちろん、それは日本が優しく中国が厳しいからに他ならないが、もう一つは以前から触れているように現在の実質的な支配層が反日(あるいは抗日)という虚偽の活動経歴を持って地位を手に入れたという流れがある。

 日韓併合時を含めた前後に、言論上は日本に抵抗していた事実もあろうが実際にはほとんど何もできなかったことは史実が教えている。それをあたかも日本に強く抵抗したように歴史の塗り固めに必死ではあるが、こうした行為が彼らの国際化に対する強力な足枷になっていることには気づき始めたようにも思う。ただ、もはやアイデンティティの一部にすらなっている作り上げた歴史を否定された時、そのショックは如何ほどのものであろうかを想像するのは難しい。歴史を作り上げることは、自らの存在意義を賭けた闘争であるようにも思えるからである。
 それ故に、私の知る現地事情などは知れておりあくまで想像に過ぎないものの、それでも日本の番組の放送などを制限していることからして、文化侵略と呼んではいるが日本に国民の心が向かってしまうことを畏れているように見えて仕方がないのだ。
 実際、狭い知己ではあるが幾人かの韓国人の友人が居るし、それほど親密なあるとまでは言わないものの彼らは総じて良い友人である。その姿からは、反日というか侮日に走る韓国メディアや政府の言動は想像も付かない。歴史は経験に勝り、私の浅はかな経験などどれほどの説得力も持たないことは知っているが、ネットで流れているほどの酷い経験をしたことはないのである。もちろんそれが絵空事だと言うつもりはないが、一人一人を見る限りにおいて全体像としての反日の姿を描き出すのは難しい。

 確かにかつては国民全体に日本を嫌い憎む心情があったかも知れない。しかし、時間と共に体験は消えてゆき想像が取り変わり覆う。ネットの進歩は、事実を徐々に広め感情論を焚きつける以外にはこれまでの言論を押し通すことはできない。
 反日教育が強化されているとすれば、放置すれば韓国がどんどんと親日にのめり込んでしまうという危機感があるとしか思えないのだ。実際に、反日教育により一部では子供たちに憎悪の心理を叩き込んでいるという面もあろうが、これも一定の年齢に達して常識を身につければ徐々に消えていく。
 韓国のメディアや政府関係者が必死になって日本を貶めようとするのは、日本を悪と決めつけなければ成り立たない自らの立ち位置やそれを構成する作られた歴史がある。この流れが順調であればわざわざ摩擦を引き起こすような日本を強く貶める行動は必要ないはずだから、逆説的に考えれば反日を焚きつけてもそれが思うほどに効果を発揮していないということではないか。
 ただ、メディアなどによる親日行為へのバッシングは社会生活を脅かすほどのものであり、下手すれば犯罪として取り締まられ社会的地位すら失ってしまう。このような状況では、表面的にでも日本に協力的なことをなどできやしない。結果として、言い訳のように日本叩きに必死になる。しかし、この行動は日本でも同じようにネットでは見られるし、あるいは韓国という社会から逃げられないからこそ身につけておかなければならないスキルでもあろう。

 おそらく、ある時(韓国メディアが信用を失う時)に世論が掌を返すように親日的になる時があるかも知れない。日本人はこれまで彼らの表面的な態度から容易に許しはしないだろうが、彼らは仕方がなかったのだと自己弁護しながら笑顔で近づこうとするだろう。本当は親日でいたかったのだが、社会がそれを許さなかったのだと。
 でも、そんな社会は言論統制された全体主義社会と大きく変わらない。問題はその統制が、権力者の強制力ではなく国民全体の言い訳により構成されている点が歴史的なものとは異なるのだと思う。