Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

朝日と毎日の牌の奪い合い

 左派言論の世論における基礎地盤の縮小により、言論人もあるいはメディアもより過激な手法や言葉を用いなければ注目を得られなくなりつつある。過激な言葉という意味では橋下大阪市長などが先んじているが、同じ土俵には乗りたくないのだろうかディベートでは同じ道を取る様子はない。むしろメディアと結託して世論を動かそうと必死な感じがしている。
 日本終わり論、日本仲間はずれ論等が新聞や様々なメディアに踊っているが、まあ30年前から日本破綻論は幅を効かせており、あたかも石油枯渇のようにその言説は人を変えながらも語り継がれている。その危険性が皆無と言うつもりはないが、だからと言って低い可能性を指摘するのみであれば私達のような素人でもできる。識者としてそれを口にするのであれば、そこに至る流れと大まかな時期は責任として語って欲しい。
 どちらにしても新聞の信用力が瓦解しつつある現在、メディアを利用した戦略は短期的には意味があっても長期的には自己の信用を積み重ねにくいと言う意味で、果たして利口なやり方なのかは疑問も残る。これからは、新聞などの張りぼての権威ではなく本物の知識と分析力がネットを通じて直接人々に伝わる時代が来るとすれば、権威によるかさ上げはデメリットとなりかねないかもしれない。

 しかし左派言論の弱体化が生じていると言うことは、逆に言えばこれまではこうした言論が中心にあったと言うこともできる。既得権益を失いつつあるからこそ、必死にならなければならないのではないか。彼らが認めるかどうかはわからないが、現在は既にリベラル陣営が理想とする状況にかなり近づいた社会となっている。いや少なくとも僅か昔まではそうであった。ただ、その状況はリベラルな言論活動等により得られた成果では無い。全体像はアメリカに与えられ、取り巻く環境として中国や韓国がまだ力を付ける前のだったからこそ生み出された結果である。結果的には彼らの理想にある程度近づいていたとしても、それが自らの力によるものでは無いと自認していたとすれば、自らの力を示す(実感する)ためにそれ以上の成果を求めようとする。これがリベラル系メディアや言論人の現状ではないかと思う。
 ところが、それを為そうとした時には社会の情勢は既に変化し始めていた。順風では力を発揮することなく欲しかった物を得て、逆風になってその厳しさに苛立っている。別に風見鶏になるのが素晴らしいと言うつもりはないが、あまりに風の流れに無頓着すぎるのではないかとさえ感じてしまう。あるいは、無頓着なのではなく風を敢えて無視していると言っても良いかも知れない。逆風に打ち勝つ状況こそが自らの本懐と考えているのであれば、嬉々としてチャレンジして行くであろう。

 実のところ、昨今反日度合いを高めている韓国の状況との近似が面白い。韓国人がそれを認めているかどうかはわからないが、韓国の日本からの独立は、自ら成し得たものでは無く棚ぼたの成果であることは歴史が証明している。様々な機会に抗日戦争と言う言葉を用いているが、実際には韓国は日本と戦っていないしゲリラ的な抗争の主体は金日成であるため、それを押し出せば朝鮮半島の政党政府は北朝鮮になってしまう。
 過去を虚飾で塗り固めることはできなくもないが、それはあくまで国内に限定される。結果として、事後に如何に日本に打ち勝ったかという事実を積み上げようと腐心する。現在はそれが経済的な逆風や地域的緊張を生み出す原因にすらなっているが、それを認めることができない。それはかの国の勝手でもあるので、わざわざ日本から頭を下げて助力する必然性はないのだが、緻密に構成された世界経済の揺らぎを防ぐ意味で日本が責任を追求されそうなのが面はゆい。

 閑話休題。さて、メディアは報道機関であると同時に経営を行わなければならない企業でもある。それ故に、各新聞社などは論調に違いが生じる。そのことを公式には認めないであろうが、現実には社の立ち位置やターゲットとする読者層など、企業経営上の戦略が紙面には色濃く出てくる。
 この時、左派言論の土台であるこうした流れを支持する人が減少すれば何が発生するか。一つには世間の注意を喚起すべく論調の過激化が生じるであろう。スクープを追い求め、あるいは明確な敵を設定してキャンペーンを実施する。もともと左派系のメディアにとっては日本政府が潜在的な敵であって、その力を削ぐためには日本という国家の権威を蔑ろにしても外国勢力と結びつく。ぶっちゃけて言えば、企業内の権力闘争と何も変わらない。
 ただ、それが支持を得られないことがはっきりわかると(今も薄々感じているだろうが)、次は同類との熾烈なサバイバルゲームが生じる事になる。内ゲバと呼んでも良いかも知れない。新聞で言えば、朝日新聞毎日新聞はどういう形かはわからないが読者の奪い合いを繰り広げることになるだろう。もっとも、元々の企業体力や信用度の差で朝日が圧倒的に強いのは言うまでもない。
 こうした減少が本格的になるのはまだ少し先のことだとは思うが、流れが逆転することは中国崩壊など余程のことがない限りないだろう。果たしてどんな姿が繰り広げられるのかはわからないが、行く末を暖かく見守りたい。