Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

焦る朝日、逃げる毎日

 朝日新聞が社説を用いて再び日本の韓国に対する輸出管理厳格化に反対意見を呈した((社説)日韓の対立 舌戦より理性の外交を:朝日新聞デジタル)。これに対する反論はすでにいろいろなネット空間でなされていると思うので、ここではその無理強い的な内容にまで詳しく触れるつもりはないが、相当に苦しいのだなということを感じた。いつも通り喧嘩両成敗的に解決策を提示するように見せているが、そこでお互いさまと引くと先に吹っ掛けた韓国が得をする形である。万が一、何の成果もなく日本が今回の手続きを取りやめるようなことがあれば、国民からの大きな反発を招くことは疑う余地もない。それを止めるのは、韓国が理不尽かつ一方的に日本に対して言いがかりをつけてきたすべての措置を取り下げ謝罪した時でしかない。

 そもそも、朝日新聞が韓国に同情的な意見を示すのは、韓国人に支配されているからではなく、日本政府を批判するためであるのは多くに人も理解しているであろう。敵の敵は味方的な流れで、日本が韓国に否定的な立場をとるほどに彼らは韓国を擁護せざるを得ない状況に追い込まれている。いや、自分自身を追い込んでいる。

 その時に取る手法は前述のとおり喧嘩両成敗的な役割を演出すること。だが、この度の行動で韓国は国際常識的に考えても無茶苦茶な要求を日本に行い、日本は理性的にそれに対して国際的に許容される措置で抵抗している。日本に1の落ち度があるとすれば、韓国には10や20の落ち度がある。なぜ、同じレベルで引き下がらなければならないのか。要するに、事の重大性を朝日新聞胡麻化している。

 

 もう、何度も複数のエントリで触れてきたので自分自身でも飽きてしまったが、新聞が公平であるなんてことは誰も信用していない。むしろ、近年はその思想的偏りが強化されていすらする。これは、朝日新聞を応援する思想を持つ人たちにすり寄らなければならない状況があるから。そして、そうした人の数はどんどんと減り続けている(選挙結果や選挙結果の年代構成を見ても明らか)。

 新聞とは情報を売る産業ではあるが、もはやライバルが多すぎて単純な情報のみでは売れない時代になっている。テレビは、実質的な情報コングロマリットとして傘下に置くことで、ある程度の棲み分けを実現できた。だが、ネットの隆盛により状況は一変する。新聞のコンテンツは、記者が取材してきた情報と、そこに識者あるいは社内の論説委員等による解説を付け加える形式である。ところが、そこに登場する以上の知識と分析力や文章力を持つネット上のブログが数多く表れた。もう10年近く前である。

 

 これにより、新聞情報の信頼性はそうしたブログに劣るケースが非常に増えてしまったのだ。更に学識経験者以外の識者は書籍として自己の研究や分析を社会に提示してきたのが過去のあり様だが、こちらもブログから始まり今ではネット動画を使用した情報発信に広がり、一部ではネット上のネット(擬似?)テレビに出演するまでになった。時には、意見が対立する論者たちと激しい議論を行い、自己の主張の正当性を示していく。典型例が橋下徹氏であろう(彼の場合はテレビからスタートだが)が、多くの国民はそうした主張に賛同を始めた。一部のテレビ番組(「そこまで言って委員会」等)の影響もあるだろう。それが、どちらかと言えば保守的な言論者が多かったのも現状を引き起こした原因である。少なくとも、テレビ等で少し前にメディアの自縄自縛を破った時期があった。

 逆に言えば、左派の論者も一時期こうした議論に参加したが、ほとんどの場合言論で敗れている。それが選挙投票結果にも表れているし、現状の世論形成にも大きく影響を与えている。

 

 朝日新聞の成功体験は、朝日の報道で世論を動かし、政権を動かすこと。そして、朝日ブランドを確立し、自分たちの主張で日本という国を染め上げることにある。実際、一時期教科書問題や靖国問題等で多くの国会議員の首を取り、政府の謝罪を引き出すような状況にまでは至っていた。天声人語は大学入試に出るともてはやされ、朝日新聞はクオリティーぺーパーであるとまで自称できた。しかし、そんな栄華も今は昔。明らかに社会の状況は変化した。

 問題は朝日新聞は変われなかったこと。あるいは状況の変化を理解できなかった。いや、数々の指標でずいぶん前よりその流れは見えていたのだ。理解しようとしなかったというのが正しい。今回の日韓葛藤での朝日新聞のスタンスは、正直相当に苦しい。冒頭に示した社説に賛意を示す国民は、朝日新聞読者でも少数派ではないだろうか。自分たちが政府と異なるスタンスを持っていると主張する、そして社会を動かさなければならないという自分で作った立場が、自らの可能性を狭く閉ざしている。他の道もあるし、取り得る方向はあるが、自分自身がそれを選べない。よく考えると現在の韓国と同じではないか。事実ではなく、自らが理想とする観念をもとに現実を解釈し、実ではなく虚(立場)を取るメンタリティ。そういう意味では冒頭の社説は、似た者同士だからこそとも思えてしまう。

 

 さて、毎日新聞の方はもっと悲劇的である。こちらも左派系(自称リベラル)新聞として王道を行く朝日とは異なる道を探さなければならない。新聞自体がメディアとしての支持を失いつつあり、特に左派系の支持率は下降の一途であるのだから、部数確保は絶対の必須事項である。ところが、売り上げが低迷すれば全国紙でありながら記者すらまともに配置できない(毎日新聞が200人規模の早期退職、役員の呆れた「仕事削減策」に怒る現場 | 週刊ダイヤモンドSCOOP | ダイヤモンド・オンライン)。結果、記者個人における責任は増大し、ずさんな記事(毎日新聞 vs 原英史氏 フェイクはどちらか – アゴラ)が増加する。あるいは資金確保に奔走して、中国のあり得ない宣伝に加担(毎日新聞が中国プロパガンダ紙のチャイナウォッチを拡散:英ガーディアン報道とDHCの公開質問状 - 事実を整える)する。

 社会に対しては徹底的な追求と謝罪要求をするのに、自らのミスに対してはだんまりを決め込む。正直、公正な報道を担うメディアとしての体をなしていない。朝日新聞が左派(自称リベラル)の中央を走っているため自分自身の居場所がなくなり、スクープに走らざるを得ないのはわからなくはない。新聞界の文春砲になりたいのではないだろうか。だが、そういう意識(無意識でも)があること自体、新聞としての適性を失いつつある。

 

 何も大手新聞が生き残らなければならない理由はない。国民としては、別の手段であっても情報が入手出来ればそれでいい。人口構成を考える時、左派(自称リベラル)を支持する人の数は今後も減少する。それ以上に新聞という業態も衰退し続けるだろうが、自分たちが今のままで生きられないという焦りが、極端な行動や方法を取らせる。

 やはりどこかで見ている現象の写しの様に見えるのだが。