Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

自らの死を意識する

 「死にたいと思ったことはあるか?」

 この問いにYESと答える人は決して少なくないと思う。もちろん、この「死にたい」という意識についてもレベルは様々であろうし、そもそも他人にはその軽重はわかりにくい。冗談めかして笑いながら言えるものもあれば、その言葉を吐くことすらできないようなケースも考えられる。気持ちを必死に誤魔化さなければならないこともあれば、一人孤独に「死」という言葉と向き合い続けることもあるかもしれない。
 人間に限らず全ての生き物は死から逃れえない。放っておいても必ずいつかは訪れることは誰もが知っている。絶対という言葉が真実味を持ちえないこの世界において、唯一と言ってよいほど確定された事項である。ただ、私たちはそれが早く来るのではないかと畏れ、あるいは意に反して突然のそれを受け入れられない者たちが数多く存在する。来ることが明らかだからこそ、次に問題になるのはその時期と形と言うことになる。

 他方、逃れたいと思うと同じように自ら死を選ぶという人も数多く存在する。日本の自殺者は毎年3万人を数え(http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2011/html/gaiyou/s1_01.html)、死亡原因の上位に当たり前のように顔を出している(http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai11/kekka03.html)。特に20代では死因のトップにいるのが自殺である。自殺者数そのものは50代や60代の方が圧倒的に多いが、ここ10年でいえば20代、30代の自殺者が比率として増加している(http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2012/html/honpen/part1/s1_1_3.html)。
 特に20代、30代の死因の半数が自殺であるというのは数字としては衝撃的だ。生命として、病気等による死亡が発生しがたい年齢層であるが故の高さだと思いたいが、10万人当たりの若年層(15歳〜34歳)の自殺率は日本が突出して高く欧米の2〜4倍となっている。

 「死ぬな」と呼びかけることは容易いが、人間が唯一思い通りにできることが自らの死を行使することだとすれば、掛け声がどれだけの意味を持ちえるのかを考えると悩ましい。多くの場合には、人生をうまく過ごせていると考えれば生に対する希望を抱き死を恐怖する。逆に、自らの生きる価値を確認できないことから徐々に死に近づこうとする。
 引き籠もりは、社会的存在としての死に近いのではないかと私は思うが、自殺の多さと重ね合わせると自らの生き方を肯定的にとらえられない若者が多いことを危惧せずにはいられない。そもそも、少子化が叫ばれて久しく若年層の数が高齢者層よりも少なくなっているこの時代に、若者が将来を悲観し自らの存在を悲嘆するような状況が望ましいはずもない。結果的には自殺にしても引き籠もりにしても現実と直面することを避けようという行動である。もちろん両者の間には命を絶つかどうかの決定的な差はあるものの、人とふれあわないと言うことは社会の中に生きる人間としては緩慢な死に等しいのではないか。

 さて、死を意識するというのは武士の世界でもあったことだが、それにより生を意識すると言うことでもある。むしろ死を選択すると言うことは死を意識するのではなく、性と死の間の境を取り払うような状況ではないかと思う。あるいはそのことについて考えることすら諦めてしまう。本当の意味で自らの死を考えれば、正直に言えば私の場合は恐怖に囚われてしまう。もちろん、それを考えたことはあるし、ひょっとしたら楽になれるかも知れないと感じたこともある。
 ただ、そのリアリティはやはり恐ろしいものであった。現実に直面しつつも生きていこうというのは、その死の恐怖から最も縁遠いところに心理を置けるからかもしれない。リアルな死を感じることは、結果として死を受け入れがたいものにするように思っている。

 こんなことを書くと違うという意見を持つ人も少なくないだろう。死について考え続けた結果それを選択する人がいることは私も知っている。しかし、死を考え続けることで逆に死という現実を曖昧なもの(あるいは生活の一部のように)感じてしまうことで死と生を混同してしまうと言うことは考えられないだろうか。
 死を抽象的な観念として扱う方が現実社会においては死を身近にしてしまうことにもなり、逆にリアルな死を感じることがそのリアルさ故に死を遠ざけようと無意識のうちに行動してしまうようにも思うのだ。
 別に今の時代に刃を心に忍ばせるという心境を思い描く必要はないが、死というものを真剣に考える機会がある方が衝動的なそれを防ぐ手立てになるのかも知れないと思う。