Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

飽食世界の飢餓

 コモディティ産業としての食糧供給については各種の意見が存在する。一つには、現在の食糧増産能力は人類の増加率よりも高く、量的な問題に関しては食糧危機は発生しえないという意見である(http://sangakukan.jp/journal/journal_contents/2008/08/articles/0808-03-1/0808-03-1_article.html)。確かに、農業の高度化は食糧の劇的な生産能力拡大を引き起こしており、人口増との関係について言えば一人あたりの食糧生産量は減少しているという話も耳にするものの、ひょっとすれば平均値で言えば今後もすっと増加し続けている世界人口を養うのに相当する生産量を確保できるのではないかと感じる。

 ただ、このカバーについてはいくつかの重大な問題点が隠されている。まず一つには、食糧生産性の向上が遺伝子工学や農薬その他のデザインされた食物を生み出すことで賄われることだろう。各種の技術そのものが悪いという訳ではないが、長期摂取による人類に対する弊害についてはまだまだ判らないことも多く、十分な信頼性を得ていないという面がある。これについては10年や20年で結果の出るものではないだけに今後も食糧増産という面のみで考えれば大きな壁である。無論最大限安全性が重視されるべきなのは言うまでもない。
 そしてもう一つが、食糧の偏在についてである。現在でも世界中には8.4〜9.6億人程度の飢餓人口があるとされる(http://ja.wfp.org/hunger-jp/stats)。世界人口を72億人(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BA%BA%E5%8F%A3)として、10%を優に超える人口が飢餓に苦しんでいる。日本にいると8人に1人以上が飢えに苦しんでいるとはとても想像できない数字ではあるが、世界においてはこれは日常であるという事実を忘れてはならない。加えて言えば、飢餓は飢餓という状況のまま維持されるのではなく、飢餓により多くの人命が失われており(あるいは様々な疫病や健康上の問題を引き起こしており)死亡する数以上に生まれているという現実をも意味している。倫理的には許されざる発言になるかもしれないが、一面で言えば飢餓問題を何らかの形で解消できたとすれば、一時的かもしれないが世界の人口増大は勢いを増すだろう。
 もっとも、経済や文化が発達すればするほど総じて少子化が進行するは既に知られており、先進諸国はその対応に苦慮している。世界中が経済的・文化的に成長すれば人口増加問題は杞憂となろうが、その折には新たな人口減少問題に直面する。

 さて、飢餓人口のうちアジア太平洋地域には2/3が分布するとされており、多くはインドや中国にあるとされる。世界第2位の大国になった中国も、一部の豊かになった地域を除けばいまだに飢餓に瀕する人が少なくないというのが現状なのだ。とは言え、状況はそれなりに改善されていることも報道されている(http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20130605/Recordchina_20130605006.html)。記事によれば過去20年で飢餓人口が2/3まで減少(約1億人の減)とされるが、裏返せば未だに2億人の飢餓人口を抱えているということでもある。
 おそらく現状でも食料を世界中に等しく行き渡らせば、飢餓人口というものは存在しなくなるであろうと考える。少なくとも人類が生きていく上で必要なエネルギー(2700kcal以上)は21世紀以降カバーされているとされる(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%A2%E9%A4%93)意見もある。
 逆に言えば、先進国からすれば現状の食生活が著しく低下するということでもあるが、残念ながら先進国民の全てがそれを許容しても経済的な理由により世界中に均等に行き渡ることはない。食糧とは言えども無料ではなく、援助によるものは別として相応の稼ぎがなければそれを手に入れることはできない。すなわち、食は偏在し資本と共に位置している。

 日本人は保有する資本により食を手に入れる側の国民であり、グローバル化による安い食材の入手は国民生活を一面では間違いなく向上させている。穀物メジャー(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%80%E7%89%A9%E3%83%A1%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC)や各種商社のみではないが、世界の食料価格はこうした企業により大きく左右され、天候不順などにより生じる穀物価格の上昇は世界に同時に広がる。
 自分で作った食物を自分で手に入れる(あるいはローカルマーケットでその地域の価格で販売されるものを買う)時には地域の経済状況に応じた価格が用いられるが、一旦グローバルマーケットをに出た食料はグローバルな価格になってしまう。食糧寡占の問題はここでは触れはしない。
 だから、グローバル化によるコストの低下は先進国ではメリットとして捉えられるが、逆に発展途上国からすればコストの上昇として受け止められる。もちろん多くを稼げばよいが、発展途上国では食物は自給の品であると共に大切な販売品でもある。稼ぎを考えて全てを売り払えば、結果として地域経済の維持ができなくなる。メキシコの漁師の寓話(http://kollsstrains.blogspot.jp/2010/05/blog-post.html)では明らかだが、どちらが大切かを考えるのは現実にはなかなか難しい。
 そして、発展途上国では自らの知識と能力では自給すら難しいからこそ飢餓が蔓延しているという現実が横たわる。アラブの春が、ロシアの小麦不作による食料価格の上昇により間接的に引き起こされたという意見(http://kinbricksnow.com/archives/51812893.html)は、私には納得しやすい理由である。
 世界に歴史を見る時、政変の多くは内部抗争もあるが国民の職が維持できなくなったときに生じやすい。生死に関わる状況になって初めて多くの人が命を懸けて現状を打破しようとするということなのだろう。中国の体制維持については様々な意見があるが、私は水と食糧の配給問題が何よりもボーダーラインになるのではないかと考えている。だから、中国は体制維持のために経済失速を(紛争)戦争で誤魔化そうとするかもしれないが、それが長引くことが同時に体制の首を締めることにつながる。

 翻って世界中で同時に進行している食糧とは別でありながらも似通った現状に目を移そう。世界では今若者たちの職がない状態が広がっている。スペインやギリシャでは若年層の失業率は50%を超えており、イタリアなどでも30%近い高さになっている。
 統計データを信頼できないので難しいが、中国や韓国などでも大卒生の半分近くは就職先がない(http://toyokeizai.net/articles/-/20280http://japanese.joins.com/article/562/182562.html)という状況が報道されている。日本の場合には若年失業率が約10%とされるが、アベノミクスの効果が広がりつつあるのか、あるいはこれまでの採用手控えが続きすぎたせいか企業の採用に広がりが少し見えつつある。
 さて、では今後就職が容易になる可能性はあるのかと考えると話は簡単ではない。労働力不足で移民制度導入といった話が出てはいるものの、他方である程度夢のある収入が期待できる就職先はどんどんと減っていくのではないかと考えられる。
 その理由は一つには、生産性の向上があげられる。コンピューターや自動化・機械化の導入により消滅(あるいは著しく縮小)する仕事は少なくない。仕事がなくなれば、それに従事していた労働者は職を変えなければならない。社会的な意見で言えば、マッチングが不十分であり社会の流動化を高めれば解消できるような話もある。ただ、考えてみればあらゆる分野において機械化により仕事が減る時に、なぜ次の仕事が確実にあると言い切れるのであろうか。

 もちろん急に社会が激変する訳ではない。徐々に徐々にそれは進行しているから、なんとなく雰囲気には気づいても現状決定的にこれと言い切れるものではない。ただ、仕事が減るとは言っても皆無になるわけではないが、より高度な職業が減り単純化された職業が増加していく。
 これは、仕事により得られる給与の偏在という現象を引き起こす。もちろん、現在社会問題となりつつある非正規雇用の問題は進みつつある問題の表出である。一時的には、人手不足ということで正社員化が報道されてはいるが、これも継続的に続く訳ではないしそもそもそうした企業の離職率は他業種と比べて非常に高い。正規雇用したからと言って、給与が上がる訳でも永らく勤められることが保証される訳でもない。
 「国民総中流化」というキャッチフレーズが懐かしいが、現在は生産性の向上故に職にあぶれる国民が増加している状況にある。この大きな流れを簡単な方法で断ち切ることなどできやしない。アベノミクスにより一時的に就職市場が活性化したからと言って昔の状況が戻る訳でもない。
 日本社会は、現在こうした脱落をセーフティネットによりカバーしようとしているが、だからこそ生活保護問題が大きな話題となっている。脱落者が社会が想定していた以上の数になりつつあるからであろう。そして、そのカバーができないと諦めるようなことになった時には、今の日本では考えにくいことではあるがが飽食の社会における飢餓が創出される。
 自殺率が高いことが問題となっているが、そのうち経済的な問題は健康問題の次に大きな要因となっている(http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2013/html/gaiyou/feature03.html)。今の日本では仮に経済問題があったからと言って飢餓が蔓延することは想像しがたい(上手く制度を活用すれば助かるはず)のだが、自殺の多くは飢餓に至る前に自らが決断したと考えられないこともない。もちろん、自殺した方々の心中を勝手に想像してもらちが明かないのもまた事実。

 こうした食糧や富の偏在を本当に問題にするのであれば、資本主義よりも社会主義の方が大きな力を持つのはあながちおかしな話ではない。ただ、これまで生み出された社会主義は理想はともかく実効性において資本主義に劣っていたと私は考える。
 今後、新しい形の社会主義がどのように生まれてくるのかについて、見届ける範囲で観察していきたいと思う。