Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

サッカー日本代表と恋愛総取り狙い

 残念ながらサッカー日本代表のワールドカップは潰えてしまった。これが実力とも言えるし、逆に言えば実力を発揮しないままに終わったとも言える。今回の日本代表が目指したのは、自分たちの良さを最大限押し出すサッカーである。このことについては、選手も監督も折に触れてインタビューなどで話して来たから多くの人も知っている。
 前回の南アフリカ大会では、確かに予選リーグを突破したがサッカーそのものはしっかり守ってカウンターという、どちらかと言えば弱者のサッカーを押し出した結果でもあった。ワールドカップ直前の練習試合での不出来がこの戦法を取らせた理由ではあるが、それは分をわきまえた戦いでもあった。
 その時と比べて今の代表が弱くなったとは思わない。守備に関しては問題はあろうが攻撃については間違いなく強化されたであろう。そして、前回の戦いでは強豪国に善戦することはあっても勝ったり引き分けたりすることは難しかったが、今回はその可能性が生まれていた。オランダやベルギーに対して親善試合とは言え欧州での戦いで一定の結果を残したのだから、そう感じるのも無理はない。

 ただ、結果を見る限りでは明らかに力が追い付いていないように見える。それは、相手に対応した(相手の長所を消すような)戦いを今回はしなかったことがある。弱者を自覚していた時には、相手の長所をできる限り消すことに腐心する戦いをしてきた。決して格好の良いものではないが、そのおかげでそれなりの接戦に持ち込むことがせきたわけである。
 しかし、個人の能力に劣る日本はその先をなかなか見いだせなかった。そこで自らの良さであるスピードを最大限に生かして戦う戦法に切り替えた。確かにこの方法は一時的には有効であった。それは日本の弱点を突かないような親善試合や、明らかに能力が落ちるアジア予選の相手などでは結果を残すことができた。
 ただ、日本対策を取られた時にはなすすべがなかったというのが実情ではないか。それは、コートジボアール戦に最も顕著に出ていたように思う。日本は相手の長所を消すよりも自分たちの良さを押し出そうとした。コートジボアールは、どちらかを言えば攻めながらも日本の良さを消そうとする動きがあった。

 残念ながら、日本はブラジルやアルゼンチンほどの能力を有する国ではない。いや、スペインやイタリアほどの能力を有しても予選で負ける時には負ける。日本が相手に応じた異なった戦術を用意していなかったというのは後出しの理屈で恐縮だがやはり驚きでもある。
 それでも戦いは紙一重であり、コロンビア戦も得点差などを気にせず普通に戦うとすれば、仮にむこうが最高のメンバーを揃えていてもここまでの大敗をすることはなかったと思う。2点差以上の勝ちを目指してリスクを負いながら攻め続けた結果である。それがマイナスに転んだのは実力不足であるが、戦術不足であったのだろうと思う。というか、日本はコロンビアに2点差以上で勝つための戦術など持っていやしない。コロンビアに負けても良い戦いをここまででできなかった結果でもある。

 さて、サッカーの話とは変わるが恋愛においてもサッカー日本代表と同じような戦術を取ってしまうケースが少なくない。別にこちらは国家の威信をかけているわけではないが、逆に個人としての人生をかけているという面はあるだろう。
 自分の良さを押し出すと言うことは、社会という関わり(サッカーであれば相手があるという関係性)のなかで相手の主張を一部において封じ込めると宣言しているのも同じである。相手が納得してその状態が築き上げられるのであれば問題ないだろうが、相手がその点に納得していない場合にはトラブルが引き起こされる(または心の内に蓄積する)。簡単に言うならば我が儘に振る舞うと宣言しているに等しい。
 要するに相手方が我が儘を許容してくれるような場合(どちらが上か下かというのとはまた異なる)でなければ、それは常にどこかで葛藤を引き起こす。自分らしく生きるというのは、問題が自分の内側で収まっている場合には何の問題もないが、それが他人との関係性に及ぶ時にはネックとなりやすい。

 妥協という言葉は適切ではないが、押す部分・引く部分というのを明確に認識し、二人の関係性における全体のバランスを取ろうという認識が両者に無ければ、一人に我慢が集中し場合によればそれが破局の引き金を引くこともある。
 もちろん夫婦ともなれば弁えている人が多いとは思うが、社会の雰囲気が必ずしもそう流れていないようにも感じるのだ。自分が正しい(と考える)ことであれば、それを前面に押し立てて相手を圧倒する(封じ込める)方が望ましいような風が一部に存在しないであろうか。
 もちろん国際社会における本音と建前の使い分けで、国際政治(経済も含む)においては無理難題を押し付ける方が自国に取り有利であるというパワーゲームがごく普通に行われているが、これはゼロサムゲームをしてもそれ相応に地位が保全されるという環境があるからこそではないか。
 ところが社会において、あるいは恋愛においてはゼロサムゲームにて自らが利得を取れば、それは相手が損をするという結果が生まれるのと同質である。現実にはゼロサムではなく二人(あるいは社会)の合計利得を増やせるようなバランス感覚が求められるはずであるが、それがどうも勝ち負けに大きなウエイトが置かれている感が強い。

 サッカーにおいては最終的に勝ち負けの問題ではあるが、だからこそガチンコ勝負というよりは自分にとって有利で相手にとって不利な状況をいかに作り出すかは何より重要である。己を貫き通すというのは個を高める上では間違いなく重要なことで策に溺れるのが良い訳ではないが、どちらにしても偏りすぎるというのは結果を掴みにくいのではないだろうか。