Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

先を見過ぎた日本代表

 サッカーワールドカップ日本代表の初戦は予想以上の惨敗となった。もちろん点差で言えば1対2であって最少得点差ではあるものの、試合内容は完敗に近かった。多くの日本国民はその事実に愕然とし、それでもまだ2試合あると自らを鼓舞するように先を見据える。
 しかし、なぜここまでの力の差が出てしまったのだろうか。正直言って両国の間に今回の試合結果程の差があったとは私は思わない。むしろ、コートジボアールは調子が良くなかった。それにもかかわらず、日本代表が力を発揮しきれなかったのには、先を見過ぎてしまったが故の慢心があったのではないかと愚考する。

 もちろん、初戦で緊張していたというのもあるだろうし、雨により日本の特徴であるパスワークが十分生かせなかったとも言えるかもしれない。ただ、それ以上にメンタルの部分で必死さが足りなかったように見えた。特に、それは出だしの部分で顕著であった。暑さ対策を考えてややセーブ気味で試合に入ったせいであろうか、監督のインタビューでは序盤は良かったとしているが私には決してそんな風には見えなかった。
 実際、本田選手のシュートにより先制したとは言えど、日本の目指すポゼッションサッカーが全く姿を見せることはなかった。仮にスロースタートではあっても徐々にポゼッションを増すのが日本のスタイルであり、そのまま守備に追われるのは意図するところではないはずである。
 これはコートジボアールの動きが予想以上に良かったという面もあるだろうが、それは既に準備を積んできているのだから言い訳に過ぎない。過去にも何度も対戦してきたし、アフリカのチームと試合するのが久しぶりという訳でもない。ドログバやヤヤ=トゥーレが世界的な選手なのはよく知られた事実であるし、フィジカルの劣勢を跳ね返すためにポゼッションサッカーを積み上げてきたのである。

 私は、日本代表の無意識のうちに力を温存しよう(直接そう考える訳ではないが)という考えが頭によぎったのではないかと思う。もちろん、一試合の中での配分というのは常に考えなければならないが、その先のことまで考えてしまった結果が日曜日の試合に現れてしまったのではないかと考えるのだ。
 既に前回もベスト16に進出し、今回はさらに上を目指すという強い意識を持つことは決して悪いことではない。ただ、だからと言ってブラジルやドイツのように予選の楽々(それすら現実には難しい)と勝ち抜けるチームでないのもまた事実。
 頭の中では否定していても、心が先に動いてしまったゆえの微妙な力加減。それが最後まで修正されることはなかった。1点を先制したからのことではあろうが、中途半端なポゼッションもどきは自らの耐力を削り取り、攻めて守る意識を希薄化した。劣勢だから守り切ろうという気持ちが生まれたのかもしれない。とは言え、もちろんできる限りのことをしたと思う。決して手を抜いたわけでもない。途中で修正しようと頑張ったのも良くわかる。
 それでも、マラソンと同じように初期の戦略ミス(意識の持ちよう)を変えるのは半端なことではできないことを端的に示してしまった。言うなれば、親善試合での力の入れようとワールドカップのそれは数パーセント異なる。その数パーセントを日本は無意識にセーブし、コートジボアールはセーブしなかった。結果として肉体的なパフォーマンスにわずかな差が出たが、これはフィジカルの差ではなく意識の差だと思う。
 コートジボアールはその瞬間にできる限りの最大の力を発揮することに集中し、日本は余分なことを考えたしまったと言うことでもある。

 では、日本がこれで終わるかといえばそこまで悲観しているわけではない。日本は常に全力でぶつからなければならないチャレンジャーなのだということを思い出しさえすれば、リミッターを外した試合をすることができるだろう。だからと言って勝てるとは限らないが、少なくとも見たかった姿を見せてくれるのではないかと思う。もちろん、期待も込めてのものではあるが。