Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

日本はモノを売ってはいけない

 ものづくり日本の凋落が話題になって久しいが、今のところ過去の栄光を取り戻そうと動いてるのが主体ではないかと思う。もちろん時間を巻き戻すことなどできる訳もなく、過去と同じでは成功もおぼつかない。では、新しい何を主体にものづくりを行うべきかという問題点の核心はと言えば、いつも今一つはっきりした言葉は聞こえてこない。
 確かにブランド化を狙うべきと言う話は農産物の海外輸出振興などで散々言われていることでもある。しかし、そのブランド化は高級であることや高品質であることをイメージして話を進められている。果たしてそれがブランド化の全てなのだろうか。おそらく単なる高級品では不足であると考える人が少なくないからこそ、今一つ大きな流れに成り得ていないのではないだろうか。

 私が思うに、日本が売っていたモノは昔も今も変わらずモノではなくて「夢」ではないか。それは日本の製品が世界を席巻していた時代も、その隆盛に大きな陰りが見える今も基本的に変わりはしない。
 もちろん、品質が高いことや多機能であることもその夢の一部を構成する要因であっておざなりにする事はできないのだが、逆にそれが夢の全てを構成している訳ではない。むしろ夢の一部を補強しているに過ぎないと言っても良い。
 ただし、夢は主体的に描くものであって押し付けられるものではない。日本人や企業の夢と世界の消費者の夢が同じベクトルである内は良いが、それがずれてしまえばどれだけ良いものを作ろうとも受け入れられなくなる。これは、単なる趣味や趣向の話ではない。「好き嫌い」ではなく夢を後押しする商品なのかが問われている。

 アニメや漫画を主体としたクールジャパン戦略は、実質的に大きな利潤を日本にもたらしている訳ではないという情報があるのも知っているが、仮にそうだとしても地道に日本の印象を向上させる強い役割を担っている。だから、逆に政府などが下手なキャンペーンを打たない方が良いというのはその通りだと思う。あくまで進出したい人の手助けをする程度に留めなければ最も重要であるはずの夢を壊してしまう。
 さて、モノではなく夢を売るべきだとはいえども実質的に利益を手にするのはモノの販売であって、夢はおまけの部分になる。しかし、実質的には夢を日本は売りおまけに製品を付けるというのが正しい戦略ではないだろうか。日本は、モノの良さを強調して販売促進するのではなく、そのものが生み出す夢を売らなければならない。
 ソニーの凋落もアップルの台頭も、結局は夢を見させることが出来たかどうかにかかっている。新しい時代を予感させることができるかどうかが、世界的な成功の分かれ目ではないだろうか。逆に言えば、日本は既に技術力として一定以上の力を保持している。もちろん永らく続く不況によりその維持に窮している部分があるのはわかっているが、それでもモノが売れるようになれば再びの技術力確保・維持は可能となると信じている。

 とは言え、夢を売るとは一体どう言うことなのだろうか。手に届く夢を売っている商売と言えばAKB商法がまず頭に浮かぶ。「会いに行けるアイドル」というキャッチフレーズは、ブランド化とは対極の商品の大衆化を意味する。かつての日本も欧米に追いつけと言うレベルにおいては、この戦法を採用してきた。現在パクリで中国や韓国が非難されたりもするが、かつてものまねをする国の代名詞は日本でもあった。むろん、単なるパクリではなくその先の改良を施したと言うことで、中国や韓国と同じ範疇には括られたくないという意見もあろうが、先行する欧米の技術をキャッチアップしてそれをより使いやすくすることで日本の製造業は世界的なシェアを広げた。
 一時期SONYは世界が羨むほどのイメージを得たが、その絶頂期は意外に短くSONYの廉価版を販売する戦略でPanasonicの方が大きなシェアを得たりもしていた。廉価版はサードパーティーも販売していたもののPanasonicは企業ブランドと安さでそれなりの地位を築いてきたと私は理解している(分野により異なるし、専門家ではないので誤解もあろう事は承知している)。

 同じ様なことは、サムスンが日本の家電業界を苦境に追いやったことにおいても見て取れる。決断スピード・為替・地域対応・その他様々な要因はあるが、そこそこ良いものを安い価格でと言うのはかつて日本が欧米を追いかける時に取った戦略と何も変わらない。
 そして、サムスンが世界で受け入れられてきた理由は実のところ、AKBと同じように身近に手に入る手軽な夢を提供していることであろうと思う。
 サムソンのライバルとして確固たる地位を築いたアップルは、やはり夢を与えるという仕事により成功してきた。スティージョブズというカリスマがその中心にあったのは間違いないが、かつてSONYが人々に振りまいた夢を別の形で引き継いでいる。もちろんビジネスとしてそれを如何に安価に提供するかという重要な要因も存在するため、単純に夢が全てではない。遠すぎる夢は、人の心にたまにしか響かないのもまた現実である。
 しかし、夢のないところに大きな成功もない。そしてその夢は、技術者の抱く夢ではなく消費者が抱く夢でなければならないのだ。

 この夢を売るという行為については、何も製造業のみに与えられた命題でも何でもない。おそらく日本のあらゆるところのあらゆる商行為に必要とされることではないか。東京ディズニーランドの成功は、この夢をブランド化することに見事に成功した一つの典型であろう。
 もちろん、その影に存在する失敗してきたテーマパークは数々存在する。夢などと言うあやふやなモノに企業の存続をかける事ができないというのもわからなくもない。しかし、不確かであると考えるのはサービスや製品を提供する側の論理であって、それを受け取り選考する側の考えではない。
 例えば、大ヒットする小説や漫画などもキャラクター(登場人物)の面白さや、筋書きの突飛さ・意外さは非常に大きな要素でもある。しかしながら、最も重要なのは全体を貫くストーリーでありその舞台となる人々を惹き込み虜にする世界観である。それなしの成功など覚束ないし、仮に世界観が人々を取り込めばリピーター(ファン)は容易に生み出せる。

 結果としては確かに商品を売り利益を上げる。しかし、日本という国が本当に売るべきは皆が楽しみ期待を抱けるような「夢」であり、それを実現する上で必須のアイテムやサービスを提供することが求められる。商品を売り利益を上げることは、大きな物語でなければならない。