Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

負けず嫌いの善悪

 スポ根漫画では、負けず嫌いはデフォルト設定のポジティブ側に用いられることが多いが、ギャグマンガでは負けず嫌いはヒロインの敵役と定番化されている感じもする。有り体に言えば、負けず嫌いは良い方向にも悪い方向に作用するというのが一般的な認識だろう。
 しかし私は、負けず嫌いは基本的にポジティブな心理だと考えており、決して悪いものでは無いと思っている。結局、他人に迷惑をかける負けず嫌いは悪いものと認識され、迷惑をかけないそれは悪くない。当たり前のことではあるが、波風を本人の内に収めることができればよいのである。

 刃物が生活において非常に役に立つものでありながら、同時に生命を脅かす不都合な可能性も秘めているように、負けず嫌いも両面性を持っている。こうした状況は二面性を持っていると言うよりは、保有する多様性の両極なのではないかと思う。私達は、それを上手く使うことで大きなメリットを享受する可能性があり、それを下手に使うことで逆に大きなデメリットを被ることもある。
 ところが、この場合メリットを受けるのが自分でありデメリットを受けるのが他人であるため、そこに非対称性が存在する。私達はこの非対称性に流されやすく、負けず嫌いは往々にして他人を傷つけたり押しやったりするイメージに捉えられる。

 しかし、多くの人は内心負けず嫌いが誰に負けないことなのかを知っているだろう。そのとおり、自分自身に負けないことこそが負けず嫌いの本来の意味である。他人との争いは、自らが向上することにより勝つこともあるが、同時に他人を貶める(あるいは不利な状況に追い込む)ことによっても勝つことに至ることができる。
 しかし、他人を落として勝ったとしても自らの技量や能力が向上することには繋がらない。仮に一人に勝ってもその他大勢に負けるのであれば、どれほどの意味があろうか。目の前の小さな勝ちに拘る姿勢こそが、負けず嫌いの負の側面を大きくさせる。
 私達は誰に負けるべきではないのか。それは、自らが生み出した自らの限界ではないだろうか。他者に負けるというのは当然能力や技量のせいであろうが、同時にそれに打ち勝つために自らをどのようにどれだけ向上させればよいかというビジョンが曖昧だからこそ抜け出せない状況でもある。
 もちろんそこから抜け出すことが容易に為せる訳ではない。ただそこで仕方がないと諦めてしまうとすれば、それは他者に負けたと言うことだけでなく自分自身が設定した基準(それが他者の力に相当するかも知れない)を乗り越えるコトを諦めたと言うことでもある。

 負けず嫌いでいられると言うことのポジティブな面は、少なくとも諦めてはいないという点にある。仮に卑怯な手を使って勝ったとしても、それを永遠に続けることは容易ではない。多くの場合には、その事実を自らの心が受入続けることが難しくなってしい(一部にはそんな感性すらない人もいるだろうが)、自己欺瞞を意識することが結果としてポジティブな思考を失わせてしまう。同時に他人に与えたデメリットが自らの信用を失わせて、能力以外の面でも困難さを増大させる。
 他方、負けず嫌いを諦めると言うことは自らの成長を諦めることにも繋がりかねない。これは他者をライバルとしてということよりも、自らの意識を乗り越える情熱を失うことを意味している。他者をライバル視しなくとも自ら立てた目標をクリアするというモチベーションを持ち続けられるのであれば、それは十分に負けず嫌いである。

 私は負けず嫌いを肯定的に捉える。もちろん、それがねじ曲がった方向性を持てば他者を傷つけ自らを貶めることに繋がるだろう。しかし、それ以上に負けず嫌いの意識は自らを成長させる上で必要不可欠なものだと思う。
 必要なことは、負けず嫌いであるべき対象は自分自身なのだと言うことを意識し続けることなのだろう。