Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

言論狩りの怖さ

 サンデーモーニングという番組で、東京オリンピック決定にネガティブな態度が取られたと一部でバッシングめいた取り上げ方がなされている(http://tomiyo.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-332a.html)。おめでたいことだから国民総出でお祝いしたいという気持ちはわからなくもないが、それを祝わないでもよい自由を日本国民は持っている。福島からの避難民には喜べない人も多いだろうし、日々の生活に追われている人や、あるいは想定される東京の混雑に嫌気をさす人もいよう。
 確かに、日本のメディアには明らかに変更しているだろうと感じられる番組や報道は少なくない。それが司会者の姿勢であったり、あるいは登場するコメンテーターやメディア代表の人たちの思想であることもあろう。あるいは様々な要因による明かな言論誘導があれば、糾弾されるべきものでもあるかもしれない。
 しかし、民間放送局である限りにおいて(NHKは明らかに異なる)こうした番組は視聴率が低ければ淘汰されるのである。かつて「嫌なヤツは見るな」という趣旨を宣った(現実には番組内で芸能人が言った)フジテレビは、そのことを視聴者たちに現実に実行されて大きく視聴率を落とした。
 それが単純に番組の質の低下によるのか、あるいは姿勢が視聴者にそっぽを向かれたことが原因かは正確にはわからないが、どちらにしても民間企業たるテレビ局にとって利益確保は何よりも重要なことである。仮にサンデーモーニングが長年継続しているのだとすれば、その姿勢を好ましく思う人たちや許容している人たちが少なからず存在していることの裏返しであると考えるべきであろう。
ちなみに、実際の番組を見た他の人の感想では別にそこまで酷いものでは無かったという感想も見られた。個人レベルのメディア批判という意見表明はこれもまた言論の自由だが、言論統制を誘発するような動きにはなって欲しくない。

 一方で、落選tweet(http://www.asahi.com/national/update/0909/TKY201309090326.html?ref=com_top6)を出した朝日新聞のような姿勢は擁護されるのもどうかと思わなくもない。ちょっと間違ってしまいましたと言うよりも、落選を期待して待っていましたという感じがヒシヒシと伝わってくるのが少々痛い。ただ、ここでも批判すべきは担当者がそう言う期待を抱いていただろうことではなく、報道機関として誤った情報を流してしまったことにである。その背景として偏った思考や姿勢があったならば、それも問題にされても良い。
 ただ、姿勢としては自社でそのことをきちんと報道したことは悪くない。報道機関として最低限の自負は持っているようである。

 今回のオリンピック招致で日本のおもてなしの心がアピールポイントとされた。私もそれは素晴らしい点だと世界に誇りたい。別に日本が右翼化を進展させているなどとは全く思わないが、自らと異なる言論を圧力により抑え込むような状況はおもてなしの心とも相容れないのではないか。
 日本の戦争に対する反省は、言論が一極に集中してしまったところにも焦点を与えるべきである。素晴らしいから一つにまとまるのではなく、多彩な意見を持ちながらもいざというときには最大限の努力を払うこと。それこそが重要なのではないか。
 現実に今の日本は少数意見がきちんと発することができる。中国や韓国のようにそれが当たり前のように封殺されることはない。これこそが、現在の最善を目指せなくとも未来への可能性をつなげる最大のポイントだと思う。

 繰り返しになるが、意見表明はこれもまた言論だ。怖いのは意見を誘導しようとすることであって、それはマスメディアが批判されている原因でもあるが、同じことがネット社会で生じることはできる限り慎みたい。『The Wave(http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id334960/)』の世界を見たくないのは誰も同じだと思う。