Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

転機

誰にも人生の転機は何度か訪れるものだと思う。目の前にやってきた転機に気づかず逃してしまう人も、あるいは一歩を踏み出すことを畏れて立ちすくんでしまう人もいるからこそ、人生の転機は重大な岐路としての意味を持つ。
ただしそこにおいて最も重要なことは、到来した転機を見逃さないことよりもその時々に果敢にチャレンジする勇気ではないかと感じている。と言うのも、誰もが感じるであろうが「今が転機なのかどうか」はその時点では判然としないケースも多い。転機のような気もするがルーチンワークのさざ波のように思えてしまう。明確なケースの方がわかりやすいため、映画やドラマでは引くに引けない転機が数多く登場するが、現実には訪れたかどうかもわからない人生の転機を正確に判別することは容易でない。
それでも、十分な経験を積んだ人ならばタイミングを感じ取れるほどの能力を有しているだろうが、今度はその経験年数が却って大きな転機の訪れを遠ざける。得てして、準備の出来ていないものの元に転機は訪れるのだ。
逆に考え見れば、十分に準備の出来ている人に訪れる人生の変化は、転機ではなく必然なのかもしれない。同じように変化のチャンスが訪れたとしても、準備が出来ている人にとればそれは一か八かの賭のタイミングではなく、むしろ絶好の好機が訪れたことになる。こうしたチャンスのことを人は「転機」とは呼ばないものである。
その結果として、人生における転機は高い確率で迷いと共にあることとなる。

考えてみれば、実体のあやふやな転機を気にすることはあまり建設的ではない。明確な岐路に立ったと自覚できる時には腹をくくって立ち向かうことになるだろうが、そうした場合でも岐路に至る前に緩やかな兆候は見て取れるものである。交通事故のようにいきなりそれが現れることは非常に少ない。
また、決断を選択する場面に積極的に臨むのか消極的に接するのかは、自らの未来を選択する上で何よりも大きな要因となる。転機に対する心構えができていないがために慌てふためき、望むべくも無い選択をしてしまうことなど避けたいものではあるが、人は混乱に陥ると思いもかけない選択をしてしまうことも多いのだ。
結果的に考えて、いつ訪れるかわからない転機に向かおうと考えるのではなく、常に何かにチャレンジする前向きな気持ちを持つことが重要となる。その気持ちがあれば、おそらく重大な転機においても心の準備は半分以上終えている。その上で、自らの今後を決める選択を前向きに行えるであろう。
前向きだからこそ、失敗した時にも早く立ち直ることができるのだと思う。消極的な姿勢で臨めば、それは後悔と共に歩き続けることになるのだから。