Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

クリスマス休暇

1年半あまり続けてきたこの日記の連続更新がついに潰えることとなってしまった。別にそれに全てをかけてきた訳ではないものの、モチベーションの一つを構成していただけにちょっと残念な気持ちはある。私の場合、日記の種は既にたくさん用意しており常に50くらいのストックは用意しているのだが、今回は出張と重なってしまい更新が滞ることとなった。おそらく無理すれば書けたのだろうが、無理をして書いた文章にはどうしても拙さが随所に現れてしまうのは当然と言えば当然。自分で読み返しても、結局のところ何が言いたいのかがわからないものとなりやすい。
それでもやはり書き続けることには意義があるとは思いたいが、ちょっと見つめ直したいとも考えた。いや、難しい問題ではない。私が書くという事に対して強い気持ちを維持し、生活の中での優先順位を高められるかという単純な構図である。

では、何のために書くのか。それを自分に問うてみる。
始めた理由についてはかつても書いたことがあると思うが、一つには社会やその他様々な事象に対する自分の考え方をまとめたいという気持ちがあり、そして少しずつではあるが小説を書くための文章の練習を行いたいという思惑もあった。
でも今もう一度考え直してみれば、おそらく後者は自分に対する言い訳である。小説は、本当に書こうと思えば既に書けるはずである。確かにいくつかの短いものは書いてみたし、その折りには自分自身にテーマを与えてみたりもした。今回はライトノベル風にとか、今回は心理描写を中心にとか、今回は動きのあるものを書いてみるとかである。
基本的に、緻密な構成を計画すること無しに書き進めているので、一部に実際にいる天才でもなければオチが綺麗にまとまらないし、伏線なども上手く関連づけることはできていない。
でも、書くことはできるのだ。書かないのは、書ける自分自身を信じることができないのである。書けないのではない。満足のいくものができないかも知れないという漠然とした恐怖感に支配されて、その場に身を置くことを避けている。

こんな風に考えてみて、何やらこの日記を続けている自分のモチベーションに、自分自身で疑問を抱いてしまった。私が何を書こうが書くまいが、そんなことは誰に必要とされることでもなく、誰に資するものでもない。唯一、それは自分に向かうための舞台である。さて、私は今その舞台に立つだけの心構えができているのであろうか。
もちろん、こんな事を考えているからと言って怯むつもりはない。結局のところ、私は何かを書きたいからこそ今ここにこうして書いている。その感情は、理性的なものではおそらくあるまい。打算に左右されずに行えているとすれば、思い悩む必要などあるはずもない。

ふと、この数日の冬空の下でこんなことを考えたりした。
思い悩んだから更新が滞った訳ではない。単なるサボりであるのだが、このクリスマス休暇の言い訳としては少しくらいモラトリアムのフリをするのもまたいいだろう。

今週のお題「クリスマス」