Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

お人好し

「人が良い」ことと「良い人」であることは必ずしも一致しないが、似た雰囲気で語られることも多い。現実には抜け目がなくとも「良い人」ではいられるが、「人が良い」とは評価されにくい。「人が良い」とは自らのメリットを顧みずにバカ正直すぎたり、あるいは人に対して甘いことを意味することも多く、そのケースではむしろマイナス面として認識されている感じもある。
一方で、この愚かな真っ直ぐさや優しさは日本では愛すべきものと受け取られることも多く、その意味で「良い人」と混同されることも多い。この「愚直さ」を自ら姿勢として表現としたのは鳩山元総理であるが、この言葉を用いたのは日本人特有の愚かさを愛する面に訴えたかったからであろう。ただ、鳩山元総理はお人好しかも知れないが、政治家としては欠けているところが多すぎたと言う点において良い人ではなかった。

さて、お人好しは過剰なまでに人のために動く人のことを言うが、一見自分のメリットを考えない行動であるように見えるが、見方を変えればやはり自分で自分の行動を律している。律する内容は様々かもしれないが、原則として他者が喜ぶことを自分の喜びとしていると言うことだ。その精神が究極まで達すれば、マザーテレサのように社会的な尊敬を集めるという面もあろうが、多くの場合は単純な自己満足の範囲で終わる。
それでもバカ正直に自分の信念を理由に人が利する行為を行うのは、一つに嫌われたくないという気持ちがあり、もう一つには自分の考えを曲げたくないという頑固さでもある。いじめられているようなケースを考えれば、もはや人が良いという状況ではなく脅迫による行動規制と考えた方が良いのでここでは範疇に加えないが、自分の居場所を作るために周囲に媚びて良い人を演じているケースもあるだろう。
受動的なものであるか能動的なものであるかは別にして、最終的には自分がそれにより満足感を感じるということだと思う。

あるいは別の面を考えれば、人との関わりの深さと言うことでも見ることが出来る。人との関わりを現状以上に必要としなければ、良い人を演じる必要性は生じない。ところが、常に現状以上の人との関わりを求めようとする人は、現状既に多くの友人がいたとしても更なる関係性の深さを求めてお人好しになる。
私達の普段の生活でも「内弁慶」なんて言葉がよく使われるが、甘えとして捉えられることも多いが、より深いあるいは広い関わりを求める場合には人はお人好しになりやすく、それを求めない場合にはお人好しである必要性が薄れるのだ。

仮にそうだとすれば、お人好しは愛されたいという感情が強いから生じる現象ではないだろうか。逆は必ずしも真ではないと思うが、欲求が強いほど多くの人との関わりあるいは特定の誰かとの深い関わりを望む。その方向性が幅広くのそれを求める場合に、お人好しという現象が生じてくるのだという気がしている。
だって、鳩山元総理は典型的な愛されたい症候群ではないか。