Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

認めたくない人たち

マスコミの安倍バッシングは予想されていたことであり、現時点で驚くに値するものでは無いし、今後もっと露骨なものが出てくるであろうことも想像に難くない。もちろん、それはポリシーとして自民党安倍氏を認められないが故の行為である。かつ、TV局員などは実質的に匿名で行えるため、やめろという声が上がっても容易にやめられない。
考えてみれば、TVなどによるバッシングは匿名であることを理由に散々叩かれけなされている「2ちゃんねる」と立場的なもので言えば同じではないかと感じる。まだコメンテーターや司会者などがそれを行うのは、自分の名前を明かした上での行為であるから結果的には責任を自ら負っていると言えるだろう。あるいは署名入りの記事を書く新聞記者も同じレベルにいる。しかし、TV局のディレクターをはじめとする製作する側の名前はよほどの問題でも起こさない限り出てくることはない。あるいは、アナウンサーなどが番組の全体構成について露骨な誘導を行ったとしても、その過程まではわからない。
バッシングが正々堂々と行われるのであれば論争にもなりうるが、名前や存在を隠したままで行われるバッシングはだからこそ上記のように匿名掲示板である「2ちゃんねる」とレベルでは変わらない。いや、「2ちゃんねる」ではろくでもない書き込みは多いが、同時に専門家と見られる参考にすることのできる情報も混在している。情報の取捨選択ができるものからすれば、押しつけの電波による報道を見せられるよりはやはりマシなのである。

堂々と署名入りで書いている人はマシだとは言え、その批判の根拠が曖昧なものが多いのが私としては気になる。様々な意見を持つことは決して悪くはない。むしろ健全な批判は社会のために大いに役立つと思う。しかし、盲目的な批判はむしろ害悪となることも同時に感じる次第である。
世論が常に正しいとは私も思わないが、民主党の熱狂的な勝利は世論の反映で、安倍自民党の静かな勝利は違うかと言われれば、これも世論の後押しである。気まぐれな世論ではあるが、その方向性を正誤で表すことなど全く無意味な評価である。
世論は正しいか正しくないかではなく、何を求めているかという意見でしかないのだから。結果として、国民は民主党やその政策を求めずに安倍自民党を求めた。そのこと自体は厳然たる事実である。確かに、次の参議院選挙では多少の揺り戻しもあるだろう。それでもこれまでの理由なき熱狂とは異なると言うことが、消極的選択ではあっても意味を持つ。すなわち、過度の期待を抱くことなく選択したと言うことなのだ。

良く現れるキーワードとしては「右傾化」があるが、おそらく多くの日本人は今回の結果を右傾化に向かうものとは考えていないであろう。それは、これまでの状況が正しかったと考える人にとってのイデオロギーであり、状況が変わったと考える国民の感覚とは相容れない。
だれも戦争を望んでいる訳ではないし、過大なインフレを期待している訳でもない。ただ、これまでマスコミなどが言ってきた正しい「はず」のことが、本当に正しいかどうか疑問を抱いたのである。マスコミは、これまで言ってきた自分たちの言説の正当性を示そうと、必死になって安倍叩きをしているというのが実際のところであろうが、結果的にそれは自己正当化でしかない。
私がマスコミはイデオロギーに束縛されていると感じる一番の理由は、社会の変化を素直に受け入れられないからでもある。その変化に驚き、戸惑いながら、社会の方が間違っていると一生懸命誘導しようとする。果たして、それを行うマスコミが見ているのは事実なのか、夢想なのか。