Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

御稚児文化

 日本では以前よりおにゃんこクラブやモーニング娘。、そして現代ではAKBをはじめとするいくつかのアイドルグループが人気を集めているが、露骨な集金商法との中傷にも負けずにこうした形が生き残るのは、やはり日本人独特の何かがあるのだろうと思う。近年では、このスタイルが徐々にアジアでも広がりつつあるが、おそらく欧米ではメジャーにはなり得ないと思う。
 あくまで私の個人的な認識ではあるが、子供に対する視線というものが東洋と西洋(これはあくまで非常にアバウトなくくり)では異なっているように見えて仕方がない。もちろん、わが子に対する愛情にいささかの違いがあるとも思わないが、それとは別に社会としての子供に対する視線に違いがあるのではないかと思うのだ。

 話は少し変わるが、児童ポルノ取り締まりの分野において日本は世界的な標準と比べて遅れていると言われることが多い。確かに、刑事罰に関する法規制では日本のそれは欧米に比べて緩いことは間違いない。児童ポルノのみならず子供を性の対象とすることについては私も個人的に嫌悪感が強く、表現の自由との葛藤があることは承知しているものの今までよりも規制を強化することについては賛成である。児童虐待の現状については以下を参照(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%AB%A5%E6%80%A7%E7%9A%84%E8%99%90%E5%BE%85)。
 ただ、それでも日本が欧米に並の規制にのめり込まない理由は発生している性犯罪の実態にある。この点については以前にも触れたことがあると思うが、とある社会アンケートにおいてアメリカでは成人男性の約25%が小児に対して性的魅力を感じているという報告もあり、一方で日本の場合は調査方法が異なるがそれが5%未満の数値とされる(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%89%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2)。
 差異がある理由については、伝統的な宗教的な抑圧の違いや価値観の違いなどもあろうし、あるいは日本では隠れた嗜好が顕在化しないと言った特別な要因があるのかもしれないが、私は先ほども触れたように社会側からとしての子供に対する視線が異なるから(それは結局文化の違いになるが)ではないかと思っている。

 わが子については、社会から守るべき存在として親からの愛情が注がれるのは本能に基づく万国共通の事情ではあるが、それすらも個別にみれば絶対的なものではない。実の親による児童虐待の報道は後を絶たないが、それを根絶できないの主としてのも人間の多様性の一旦なのかもしれない。
 個人主義・家族主義・一族主義の強い文化では、過去の戦争において他者(他民族)を虐殺することも多かったが、この場合将来の禍根を積むという意味か子供もその対象に含まれてきたことは史実が示すとおりである。ただ、日本の場合には子供のみが免罪されることも少なくなく、一族が完全に根絶やしにされた例はそれほど多くはない(もちろん皆無ではない)ように私は理解している。
 このあたりについては専門家のご意見を拝聴したいところではあるが、現時点では叶っていないのであくまで想像にすぎないことである。
 おそらくは文化の違いによるのだと思うが、日本では子供の幼さを愛でる文化があったからではないかと思う。西洋(というよりは日本等一部を除く地域)では社会における幼さは未熟さとして我が子は別として感情移入するケースが日本よりも小さいのではないかと思う。年齢的に幼くとも立派な成果を上げて理う場合は称賛されるであろうが、その場合の土俵は子供たちではなく社会全体となる。
 一方で、特に日本の場合には社会一般カテゴリーと子供カテゴリーが比較的明確に分割されていることを社会全体が共通認識として認めている。アメリカで幼さを売りにするアイドルが日本ほど評価を受けず、あるいは高校野球やその他子供たちの競技が日本ほど注目を浴びないのもこうした理由からではないだろうか。

 この日本における子供たちを社会における別カテゴリとして、成長そのものを楽しむ文化こそが御稚児文化として意味を持っているのではないかと思う。もちろん、歴史的な側面からみれば稚児(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%9A%E5%85%90)は才能を買われた幼い子供(6歳程度以下)であるが、成人年齢のずれ込みなどもあって現代日本ではこの御稚児文化がアイドルなどを普及させる大きな力になっているように思う。今は下火だが韓流の女性グループなどはそれ以外のニッチを上手く泳いでいた。
 ちなみに、逆に言えばこうした御稚児文化の存在が子供を性的対象として行動に移す行為を抑制しているのかもしれない。ただ、独自に発達した文化は容易に他地域に受け入れられることもなく、国際的な観点からはガラパゴス的な評価を受けることも少なくないが、これは物の見方の違いといっても良いだろう。
 上記のとおり現代日本社会は御稚児文化の全盛期とも言えるだろうが、それが受け入れらえる素地は日本という国家の経済的な発展と文化的な成熟があるようにも思う。早熟の才能を青田刈りするこの文化は、同時に我が子に抱くような成長の喜びを享受するものでもあるが、個人的な感想を言えばそれなら我が子でいいんじゃないかと思わなくもない。