Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

生きている意味

アメリカの知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソンにより提唱された概念としてアフォーダンスというものがある。アフォーダンス(wikihttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9)とは、環境に実在する動物(有機体)がその生活する環境を探索することによって獲得することができる意味/価値とされている。
説明自体は難しいが、私はこんな風に理解している。
別に環境を探索などしなくても、社会の中に存在するだけで人も動物も物もみな意味と価値を持っている。
問題は社会とどれだけ関わるかであり、社会と深く結びつけば付くほど価値が高まっていく。

この場合の価値は社会が認めるものであるため、社会との結びつきが強いほど価値を高く評価されるのは当然のことである。そもそも価値とは他者が評価するものであり、他者に評価される以上最低限評価される人とのつながりは必要である。そして、評価する人の数が多いほど価値が高まるのも自明に理であろう。
すなわち、私達が生きている意味を考える上で自らの価値を比較競争するならば、社会に対する影響の広さを競い合うというのも一つの手である。

しかし、影響の広さのみが社会との結びつきを強くするわけではない。
そこにはあと二つ要素が存在する。「深さ」と「長さ」である。
如何に深くつながり関わるか、そしてそれを如何に長く持続できるか。
社会との関わりという面では、この3つの要素がそれぞれ重要となる。

私達は生きて社会に存在する以上、必ず誰かと接触し、誰かに何らかの影響を与えている。
それを意図して影響を与えるか、意図せずに影響を与えるかは、社会に対して能動的に生きるかあるいは受動的に生きるかの違いであろうが、関係性があることには違いない。
だとすれば、自分なりに上記の3要素のうちもっとも自分に適した方法で、社会と接することを考えてみればよい。「広く」なのか、「深く」なのか、あるいは「長く」なのか。

もし自分が生きている意味を問いたいのならば、それは社会から影響を受ける立場ではなく、社会に何らかの影響を与える立場となることを能動的に意識することが重要ではないかと思う。
社会から必要とされることを受動的に期待していても、期待するだけでは接点は広がらない。
もちろん、単純に何かを言えばそれで社会に影響を与えられるわけではない。社会が求めるものがなければならない。
しかし、社会が表立って要求してくることは、主に「広く」のみである。なるべく多くの人が興味を向けるものを要求される。そして、それらが最も評価されやすく利益にも結びつきやすい。ただ、価値という面で言えば「深く」も「長く」も同じような意味がある。社会的な名声や金銭的な対価を得られるとは限らないが、そこには確実に意味がある。
人が生きていく意味は、見栄えのする「広さ」をもった社会との接点ばかりを気にすることだけではなく、「深さ」や「長さ」を見据えることにあるのではないだろうか。

軽薄短小とは、深さと長さを有さないが故に存在する言葉であろう。」