Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

トランプ政権の意味

 トランプ旋風は形を変えながらもなかなか吹き止まない。希望も失望も含めて、嵐のように世界中をドギマギさせている。「アメリカが分断してしまった」と現状を嘆く声もある一方で、停滞を打破する劇薬と期待する声もある。基本的には、社会的なインパクトのある事件・行為や人物は、良い面と悪い面が極端に振れやすい。ただ、今の時代において聖人君子が易々とことを為すことは有り得ない。全ての人は複雑に組み上げられた社会と何らかの形で結びついており、波風を起こすことで誰かに不利に働き、一方で誰かは有利な立場になる。
 閉じた国内社会ではそのようなゼロサムとなりやすいが、国の外に敵を作れば国内的な対立を解消することに多少は寄与できる。そのもっとも典型は中国や韓国であるが、国内的な矛盾を外敵に目を向けさせること(それを演出すること)により誤魔化そうということでもある。
 もっとも、トランプ的には現在のアメリカの有利なポジションを利用して、動きづらくなった新しい世界秩序を作り出そうとしているようにも見える。トランプ本人が意識してそこまでの大きな戦略を描いているとは思わないが、それでも本能的にはアメリカが自ら現在有する力を最も振るいやすくしようと動いている様には感じる。取っている方法が功を奏するかどうかは別として。

アメリカファースト」という言葉は、まさにそのためのスローガンとしてピッタリであろう。だから、今後もかつては利用価値があったものであっても、現在利用価値が低下しむしろアメリカに害をなすと考えられるものを切り捨てていく可能性は高い。それは、過去のしがらみに囚われないトランプだからできることというのはあながち間違いではない。
 NAFTA(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%B1%B3%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%B2%BF%E6%98%93%E5%8D%94%E5%AE%9A)も、当初はアメリカにとって自由貿易を推進した方が都合がよかったから締結されたわけだが、都合が悪くなればそれを破棄するというのは道義的には問題があるようにも見えるが、自己の利益を最大化するという意味では行動として一定の合理性を有している。私自身、君子豹変するのは間違いではないと考えているため、現状が妥当ではないと考えれば方針を変えてより有利な状況を作ろうとする判断自体は間違っていないと考える。私は当初よりTPPはアメリカ議会が否決すると予想してきたが、それをトランプが先んじて実施したのは既にニュースとして大々的に取り上げられた。
 また現状変更の標的として、国連がターゲットになることもも全く違和感はない(http://d.hatena.ne.jp/job_joy/20131210/1386601339)。国連が公正であるなんてこと期待する訳ではないが、国際的な調整機関ではなくプロパガンダ機関になりつつある状況では、少なくとも関与を減らしたいと考えるのはおかしくないと思う。

 また、ポリティカルコレクトネス(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%8D%E3%82%B9)もトランプ旋風を語る上では避けては通れない。これについては、倫理性や公正さと絡めて主張されることが多いが、私はこれを推進することは社会正義の実現や差別の抑制にはつながらず単なる問題の先送りでしかないと思っている。例えば、「メリークリスマス」の替わりに現在は宗教的にニュアンスの薄い「ハッピーホリデーズ」を用いたとしても、それは「ハッピーホリデーズ」にキリスト教的な意味が込められていないと感じられる一時期だけ成立する問題なのだ。ところが、実質的に「ハッピーホリデーズ」=「メリークリスマス」と認識する人が増加した瞬間にこの行為は全く意味をなさなくなる。これを突き詰めると、私たちは永遠に意味が張り付いた言葉を狩り続けるという徒労に従事することが義務付けられる訳だ。
 もちろん、差別的な用語を全て認めろという無茶を言いたい訳ではない。一時的な先送りも当面のパッチワークとして意味を持つと思う。だが、問題は言葉にある訳ではなく言葉に込める意味とそれをする行為に存在する。もちろん、思想が自由であるため、頭の中では差別的なことであろうが反社会的なことであろうが、推奨できる訳ではないが考えることが可能である。

 このような例に限らず、社会においては自由と差別のせめぎ合いはどんな時でも存在している。そして、これらのせめぎ合いの時々における落としどころは常に変化し続けている。ポリティカルコレクトネスが、社会において否定的に見られ始めているのは本来変動すべき境界を固定化しようとする動きだからではないだろうか。そう、決めなくても良いにもかかわらず新たな常識を作ろうとするおせっかいだと認識されているということ。
 むしろ、おせっかいのような善意的なものであればまだ良い。ところが、こうした動きが裏側では社会を誘導する一つの恣意的な方法論として成立し始めているのではないか、という疑念の感覚が多くの人に広がり始めていること。社会は、どんどんと生れる新常識に疑いを持ち始めた。そして、トランプはまさにそれを上手く利用してきた。確かに言葉は極端で酷いモノかもしれないが、新常識を作り上げることこそが既存メディアの権力基盤の象徴であったと多くの人たちが感じていることも繋がってくる。
 時代の変化が減少すると、そこに最適化する形での権益が生まれてくる。それが固定化していくことで社会的なひずみが増加していく。それが社会を変えようという流れになっていくのではないか。

 小泉劇場がそうであった以上に、トランプ旋風はこれまで常識と考えてきたこと(そう考えるように誘導されてきたこと)が常識でもなんでもなかったと認識させてくれる良いきっかけとなった。そもそもルールは作る側に有利に働く。だから、ルールを作る側に回らなければならない。しかし、それが上手くいかないのであればルール作りの枠組み自体を壊してしまえ。
 非常に勝手で傲慢な考え方だと私も思う。だが、多くはアメリカが打ち立てた国際ルール(一応、各国も合意してきた)に対して近年中国は好き勝手に振る舞ってきた。当初は発展途上国の姿を借りて、そして今は大国の力を誇示しながら。他方、日本はルールの中で最大化するように努力してきた。
 結局、国際社会はお花畑ではなくシビアな主導権争いが行われる場なのだという現実を、従前の裏側から表側に引き出してきたのである。これは誰にとって不利になるのか。おそらく多くの都合の悪い人がいるであろう。今騒ぐのは、それが自分たちにとって不利に働くと認識している人たちであるのは明白であろう。

 もちろん私としては、トランプ個人を支持したいとは全く思わないし、それほど遠くない時期(半年〜1年)で大きく支持率を落とすと睨んでいる(今ですら支持率は低いが)。その一番の理由は、論理的なものではなく彼の人間性を肯定したくないという感情的なものである。そして多くの人が既に予想しているように、彼の思いつきの発言の多くがあたかもブーメランのように跳ね返り、手痛いしっぺ返しを受けて現在の作戦を転換していくことになると思っている。その結果として、これもまた多くの人が予想しているように、共和党本流のサポートを全面に受ける形に変わっていくだろう。
 だが一方で、安易に従前の方法論や雰囲気により造られた常識的なものに流されない状況を作り上げたということに関しては評価する。もちろんそれは彼が明確に意図したものではないだろうが、結果論にすぎなかったとしてもそのことを多くに人に気づかせたことは大きな功績の一つだと思う。

 トランプを生み出したのは、時代の要請であろう。社会はおそらく大きく変わらなければならない時期が来た。だからこそ、トランプ政権が生まれた。運命論を信じる訳ではないが、歴史的に必然の中に現状が納まっている様な気がしてならない。もちろんそれを生み出したのは、多くの人々が抱き始めた疑念である。明確な証拠がある訳ではないし、あるいはテストのように正解不正解がはっきりしたものでもない。ただ、何かおかしいとした感覚的なものが広がり始めているように思うのだ。
 私は個人であり、社会集団のメンバー(市民活動家ではない)でもあり、そして日本国民である。だから、世界平和を希求するもののそれは日本の安寧があってからの話だと考えている。世界があっての日本ではなく、日本も一要素としてあった上で構成されている世界。

 人々は、国家を無くせるような世界が理想だと思ってきた。誰もが仲良くなれる世界を作らなければならないと思ってきた。確かにそれは正論である。だが、それはどうすれば作れるのか?
 精神論で、理想論でいくら叫んでも、現実を見る時に何の役にも立たない。世界の発展が目に見え、多くの人が未来は今よりも幸せだと考えることができる時代には、理想も一定の役割を果たす。しかし、世界の発展が停滞し始めるとバラ色だった理想は急に色あせていく。果たしてその時に、バラ色の理想論はどのように見えるのだろうか。
 世界的な政治体制の変化や、トランプ政権の誕生は全てこうした大きな流れの中から生み出されてきた。まだ、夢を見ることができる発展途上国の若者たちの方が生き生きしているのは、ある意味当然の帰結であろう。それと同じ気持ちを日本の若者に持てと言っても、ミクロでは可能でもマクロでは不可能である。

 これから、世界が現実をシビアに見るフェーズに入る。今後ますますリアリズムが台頭してくると思う。これは、世界の発展が曲がり角に来たことを示す一つの結果であろう。だが、だからと言って世界の歩みが止まる訳ではない。単に今までの常識が、必ずしも常識として成立しなくなる。単純にそれだけの事なのだ。
 そのことをきちんと理解できれば、別にこれからの時代が激動であろうが関係はない。きちんと適応していけるであろう。トランプ政権を生み出した時ぢあの流れは、は久しく続いた安寧の時代の終焉を告げると共に、甘い夢ではなく現実を見るように私たちに告げているような気がしてならない。