Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

新国連

 潘基文(パン・ギムン:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BD%98%E5%9F%BA%E6%96%87国連事務総長が「歴代最悪」の烙印を押されているそうだ(http://www.news-postseven.com/archives/20131206_229764.html)。国連の事務総長(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%80%A3%E5%90%88%E4%BA%8B%E5%8B%99%E7%B7%8F%E9%95%B7)は、近年パワーバランスの関係から発展途上国から選出されるのが常態化しており、同時に国連の横槍を気にするアメリカなどは国連機能の骨抜き化を望んでいる。これは他の常任安全保障理事国などもおおむね同じ意見なのだろうが、言い方は悪いが使えない事務総長が望まれているという面は否めない。それ故に、働きすぎる事務総長は拒否権により再任を拒まれているケースが存在する。
 すなわち、アメリカなどからすれば潘事務総長はまことに都合の良いということになるのであろう。実際、彼は前回の2011年にも問題なく再任を果たしている。国連の機能を骨抜きにする上で最適の人物と見られているのだと思う。

 一方で、国連に関係する(あるいは国際的な)様々な機関のトップ(あるいは委員)は自国の権利を行使するうえでメリットがある場合もあって、地域の互選で選出されていたりと利権の様相が非常に高い。
 よく知られているのは、世界銀行(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%8A%80%E8%A1%8C)とIMF(国際通貨基金http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%80%9A%E8%B2%A8%E5%9F%BA%E9%87%91)のトップ(総裁と専務理事)はそれぞれアメリカと欧州が分け合っているのが暗黙の了解となっている。それだけ自国の権力を高めるのに価値が高い機関だということでもあろう。
 先日は、国連人権理事会(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%80%A3%E5%90%88%E4%BA%BA%E6%A8%A9%E7%90%86%E4%BA%8B%E4%BC%9A)に人権抑圧国とされる中国やキューバサウジアラビアなどが理事国に選出されたことが話題となった(http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20131113/frn1311131533004-n1.htm)。これも、地位を利用できるというたぐいのものであろう。

 どのような組織でもシステムでも必ずそうではあるが、設立当初の理念はいつしか権力の奪い合いに変わる。理念の寿命はそれほど長くはなく、気づけば作り上げた組織やシステムのより有利な使い方に皆が邁進するようになっていく。
 これは、決して組織がとことん悪い訳でもシステムに決定的な瑕疵がある訳でもない。ただ、人間の愚かさが少しでも有利な状況を生み出そうと藻掻く軌跡が生み出していくのである。愚かなことだと知りながら、それでも他者が一方的に有利な状況に付くことを由としない縄張り争いの心は、人間の原初的な本能の一部に由来しているのであろう。
 そして、戦後生まれた国際連合も既に70年近くを経た。国連至上主義者は今でもそれを持ち上げるかも知れないが、実を言えばそろそろ新しい何かを生み出さなければならないのではないか。企業であれば、市場の強制力により存続を欠けての生き残り策を新しい分野に求めたり、内部改革を行うことになることになるかも知れないが、これが国家の場合には事は簡単にはいかない。
 要するに、思惑を持ったキーパーソンが多くなりすぎており、内部改革を行えるような状況にない。だからと言って国連をいきなり無くすと言うこともできないだろうが、何らかの形で改革若しくは新しいシステムの導入を考えなければならない時期なのであろう。

 その代役を経済協定が担えるとは思わないが、ひょっとすると多国間経済協定が部分的には補完する存在になるのかも知れない。私自身はTPPには今でも否定的な立場であるが、これは多国間の貿易・経済協定を否定する意味ではない。単に、現在のTPPが日本にとって有利であるかどうかと言う泥臭く生々しい理由によっている。暴力的な戦争が実際にはメリットで無くなりつつあるこの時代、結果的にはそれにとって変わるのが経済戦争であり文化戦争である。
 だとすれば、それを効果的に取り仕切る本当の戦いはこうした場面で行われていく。国連が実質的に機能不全に陥っているとすれば、戦う舞台としてより効果的な何かが求められるのは当然の帰結なのかも知れない。そして、新しい国連をいきなり立てることができないのであれば、国連の機能不全は今以上に進行し続けるだろう。