Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

意識と無意識の狭間

 朝目覚める直前や夜眠りに入る直前の微睡(まどろみ)を意識と無意識の境界だとすれば、この時間帯や状況を上手く使うことが人生を楽しむために重要ではないかと思っている。睡眠学習(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9D%A1%E7%9C%A0%E5%AD%A6%E7%BF%92)などという方法も一時期提唱されたりもしていたが、完全に眠っているときの効果には懐疑的な意見が強いというか、むしろ効果がないと考えられている。ただ、もし仮に何らかの効果があるとすればこの微睡の時間帯ではないかと感じることがある。

 例えば、一日の反省を行うのも床について眠るまでの時間が適しているという意見もある。他方、良い睡眠をとることができなくなるということで「反省はふとんの中でしてはいけない」という意見もある(http://meigen.ko2ko2.net/2012/07/1597.html)。私自身は、毎日ではないが偶に思い出したように就寝前のひと時を反省に充てることがある。これは、別に儀式としてのそれではない。普段はすぐに眠ってしまうし、逆に言えば眠る直前までは布団に入ることもない。
 ただ、比較的就寝前に余裕がある場合に思い出したようにそれを行う。だから、この反省は生々しい失敗や後悔を伴っていない。私もミスをしたその日に布団の中で大反省会でも開こうものなら、間違いなく次の日は目を腫らすことになるだろう。
 この思い出したような反省は、現状のアバウトな自分自身の状況や取組・心構えなどを客観的に自己分析して整理すると言った具合のものである。普段から自己客観視ができる人には必要のない行為かもしれないが、私は時々これを行わなければ事故の状況を正確に認識できない。いや、できないのだと思い込んでいる。

 その認識が正しいのかどうかはわからないが、眠りの直前の微睡の中で行った分析は比較的感情に振り回されることなく自らの心の中にすっと入ってくる感じがしている。眠りに移行するバッファーゾーンでの行為だから、あまり論理的であったり理知的であったりはしていないと思うが、普段頭の中で今一つ整理しきれていない状況が、こうした瞬間に腑に落ちることもある。
 ただ、ここで完璧さを求めているわけではないので、あくまで「上手くいけば」という軽い気持ちだという前提である。気分の良い眠りは、当然こうした頭の整理に勝る快適さを私に与えてくれるのだから。ただ、先ほども書いたようにこの微睡の時間帯に考えたことは、理性面というよりも感情面が受け入れやすい気がしている。これも性格により異なるだろうから誰もがそうであるとは言い切れない。ひょっとすれば私だけが勝手にイメージを抱いているに過ぎないのかもしれない。そもそもこんな内容のことを日常会話で他の人と確かめ合うこともないのだから。

 ただ、それでも私の直観はこの時間帯が緩やかな理性と穏やかな感情が交わる最も良いタイミングなのだと教えてくれる。そして、もう一つはこれが毎日行うような義務ではなく、自らに何かを課すような修行や鍛錬でもなく、あくまで禊のような行為であることが重要ではないかと感じる。
 情報が氾濫する子の社会において、普段の喧噪や葛藤を緩やかに解きほぐす時間が私たちには必要なのだろうと思う。それを情報から離れることで得ようとすることもできるかもしれない。ただ、単純な遮断は逃避と基本的に変わらない。もちろんリフレッシュされることにより心が前向きになることで、強く立ち向かう気持ちを持つこともできるだろうから、その効果も決して馬鹿にできるものではない。
 実際私たちが抱える多くの問題は、私たちの外にあるのではなく私たちの内側に存在する。それを認めたがらない感情が、標的を外にあるものと誤認させてしまう。もちろん要因として外部に様々なものはあるだろうが、それをどのように扱うかは自分の内側の問題なのだ。

 ただ、理性ではわかっていたとしても自分自身の内側を見ることも、変えることも、基本的に辛く厳しい行為である。私も、表面上反省という態度を見せていても実質的には自らを守るための言い訳を並べているケースなどいくらでも思い出せる。
 意識が強い時には感情も強い。感情を制御できるのが理想形ではあるが、単純に感情を押し殺せばそれでいいというものでもない。むしろ感情をうまく利用してそれを推進力にできる姿が最も良いと私は思っている。もっとも、それが容易にはままならないからこそ誰もがギャップに苛まれる。
 だからこそ、意識と無意識の間の時間帯を上手く利用することはできないかと思う気持ちは強い。上手くいくかどうかはわからないが、私たちの意識がやや虚ろな時にこそ感情を良い意味で制御できるチャンスが隠れているのではないだろうか。