Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

新党ブームの末路

 みんなの党(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%AE%E5%85%9A)が解党し生活の党(http://www.seikatsu1.jp/member)も一部が民主党に鞍替えし今回の選挙でさらに数を減らすのではないかと考えられている(比例区次第)。前回の衆議院選挙では民主党政権のあまりのレベル(実行能力)の酷さが国民に見限られ自民党が大勝した。これは、二大政党制政治(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%A4%A7%E6%94%BF%E5%85%9A%E5%88%B6)がより良い政治形態と扱われ実質的に自民党及び民主党に対立構造を煽ってきたマスコミのキャンペーンの結果と言っても良いかもしれない。小選挙区がミニ政党に厳しいのは誰もが知っているが、中選挙区の膠着した状況よりはダイナミックに政治が動くこと臨んだ帰結であり、その大きな動きを喜ぶのは一定以上の規模を持つ政党と、政局が商売に繋がるマスコミであるのは言うまでもない。
 かつて一定の議員数を誇っていた社民党も、今ではすっかりミニ政党となってしまった(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A_%28%E6%97%A5%E6%9C%AC_1996-%29)。歴史が長いことからメディア登場機会は他のミニ政党よりも多いようにも思うが、あくまで印象論であって具体的な確認はとっていない。

 さて、小選挙区制の選挙制度下では不利な地位であることは承知していたにも関わらず、二極化では汲み上げられない意見を代表する数多くの新党(ミニ政党:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%85%9A)が生まれたのは、小選挙区制に反対する世論の無言の抵抗だったのではないかと感じている。
 私は大政党制を生み出す土壌として提案された小選挙区制は政治形態としては必ずしも日本という国にマッチしているとは思わず、むしろかつての中選挙区制(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%81%B8%E6%8C%99%E5%8C%BA%E5%88%B6)の方が民意を代表するのに効果的ではないかと考えている。政権交代は実現しがたくなるかもしれないが、一方の政党が大勝ちしないことといくつかの政党が政策ごとに提携する形の方が日本の政治はうまく回るのではないかと考えている。その上でいくつかの政党の連合により政策の変更が行われるスタイル。
 確かに、金権政治批判が高まっていたり与野党での談合政治が多かったのは中選挙区制の時代でもあり、そのまま以前のように戻せばよいという訳ではない。ただ、両選挙手法を経験してきた上で新しい中選挙区体制を考えるのであれば、それもまた良いではないかと考えてしまう。さらに言えば、比例復活(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E8%A4%87%E7%AB%8B%E5%80%99%E8%A3%9C%E5%88%B6%E5%BA%A6)などと言う一面において姑息な制度は廃止にした方が良い。民意よりも党内権力が優先される手法と考えるからだ。まあ、これも政治の醍醐味と言えなくもないが。

 さて、「安倍政権において議員定数削減がなされていない」という批判が野党を中心に上がっているが、現実的には微妙な選挙制度の変更程度では各党の思惑が違い過ぎて削減が実行される可能性は低いとみている。むしろ、議員定数削減と共に小選挙区制を変えるくらいのことを再びする必要があるだろう。一方で、私個人としてはそこまで国会議員定数を減らせばよいかと言えばこれまた違うと考えている。
 正直言えば議員歳費などは他の支出と比べれば大きなものではない。ポイントは議員歳費が高すぎるということではなく、議員歳費に見合う働きをしていない議員が多いことこそにあり、それを如何に是正できるかが問題なのだ。
 そもそも定数削減の話は、一票の格差是正を巡る議論として出てきたものであった。定数削減が先にあるのではなく、表の重みを均等にすることが最初の目論見である。私も格差是正最高裁判所にも指摘されている内容であり、少しでも早く取り組む必要があると考えてはいるが、その一部を取り出して批判することの馬鹿らしさはきちんと把握しておいた方が良い。

 今回のみんなの党解党および生活の党からの一部離脱については、余程の知名度がなければ大政党に属していないと当選できる目処が立たないという議員の認識を示している。これは小選挙区制の狙い通りと言えそうではあるが、先に述べたとおり国民の批判の受け皿がが消えると言うことも意味している。
 別に私はみんなの党も生活の党も支持していないが、それが生まれるに至った経緯は受け入れたいと考えている。小選挙区制度下で新党にチャレンジしたのは既存政党では受け止められない意見が大きく、その意見を代表することで一定以上の支持を獲得できるという政治家なりの嗅覚があったのだと思う(それ以外の政治的な決別も含めて)。そして実際、みんなの党や維新の会などは一時的とは言え勢力を拡大した。
 政治の世界における離合集散は日常茶飯事とは言え、弱小政党同士のパイの奪い合いは政治ショー以上の価値を持ち得ないでいる。それ以上に、今回のようにあるいは以前にも見てきたように、結局のところ大政党に出戻る姿は三文芝居と言っても差し支えない。

 新党結成の狙いは第三勢力の結集ではあるが、新党を生み出す動機は既存政党内での意見の対立であり、それが続く限りにおいて少数政党の離合集散は終わらない。大政党が大きくあり得る訳は、多少の意見の違いを内包できる(メンバーがそれを許容する)ことであり、自民党は総裁の変更が擬似政権交代となっていることで柔軟性を保持している。
 民主党の場合にも右派左派共に存在するが、一体性を意識し過ぎるあまりか代表交代が全体的な政策スタイルの変更にはつながらず、むしろ個人の資質のみが突出することで出来の悪さを国民に見せつけてしまった。加えて、政権奪取後も理想的な日本の姿を追い求めるのではなく下野した自民党治世の影に常に怯えていた感じがしたのだが、それは経験のなさ故であろうか。

 新党を作り理想を追求する姿勢は悪くない。世の中にありとあらゆる矛盾や不合理が存在するのも事実であろう。その上で、国民は清廉さやわかりやすさを求めることもある。ただ、それは新党を生み出す推進力にはなっても政権を伺えるほどに拡大させる力にはならない。
 鶏口牛後として一言を持つことにも大いなる意味はある。ただ、ここにきての慌てようはそのスタイルが力を失いつつあるようにも感じられる。