Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

帰ってきた民主党は変われない

 安倍総理辞任の報によりすっかり埋もれてしまった感もあるが、国民民主党が解党(分党?)して、立憲民主党と合流するという話が継続して進められている。最終的に新党を再び立ち上げるのか吸収という形になるのかはわからないが、元の木阿弥に戻ったことは確かである。いや、むしろ保守系の政治家があまり戻っていないことで、純化が進んだと言ってもよいかもしれない。既にネット上やメディアでも言われているが、イメージとしては今は亡き社会党への回帰に近いのではないだろうか。この騒動は、お金を持つが支持率がほぼゼロである国民民主党と、少ないながらもある程度の支持率を維持しているが政党助成金が少ない立憲民主党の、選挙を睨んだ互助的な合従連衡に過ぎないのは、多くの人も見透かしているだろう。

 

 だが、自民党への対応勢力ととして自らを位置づける立憲民主党に対し、一向に支持を広まめられないのは政策(政治力を含む)や人物(能力を含む)に対する批判であるということには目をつぶり続けている。かつての民主党は理念のみで政権を奪ったが、その成果は多くの国民を満足させるものではなかった。この経験が現状を作り出している。人のうわさも六十五日と認識が変わるのを待ち続けていても、国民の意識はおそらく容易には変化しない。

 政治は人気商売であるが、その人気は実体験・実感により定まる。アイドルなどの疑似的なそれとは異なるというのが大きな特徴である。もちろん、日本の政治は他の国と異なり官僚が下支えしているため、極端な話を言えば政権政党共産党になっても急激に社会が変わることはないだろう。だが、そのかじ取りが日本をどのように変えるかという社会的な雰囲気は投票行動に影響する。逆に言えば、長期政権という飽きに似た雰囲気もまた日々の支持率にかなり影響している。マスコミの執拗で根拠の薄い責めに加えて、コロナ禍の対応ミス(ミスというよりは立ち回りのまずさ)で若干支持率を落としたが、辞任により一気に政権支持率を取り戻した(安倍内閣の支持率が20.9ポイント上昇 理由は「安倍さんごめんね」と分析 - ライブドアニュース)のは、少なからぬ国民が冷静に状況を判断した結果ではないかと思う。

 

 さて立憲民主党が政権に近づけるかと言えば、私は今のままでは到底その目はないとしか言いようがない。個々の議員の能力の低さもさることながら、代わり映えのしない執行部の面々に加え、国民世論をくみ取れない感度の低さが気になっている。結局、国民の意見に耳を傾けて政治を行っているのではなく、自分たちの政治信条に国民が合わせてくるのを待っているのである。かつて、自民党が長期与党の驕りを国民に罰せられた時、当時の民主党が一時的な支持を得たが、これは政策能力を認められたものではなくて、フレッシュさを期待されたに過ぎない。だが、現実には彼らは清廉さ以上に無能であった。それを国民は目にしたが故に、期待する清廉さでは無能さをカバーしきれないことを学んだのである。どれだけ耳障りの良い言葉を並べたとしても、そんなものでは政治はできやしない。

 さて、立憲民主党はかつての民主党、そして大きなイメージで言えば大昔の社会党に先祖返りしようとしている。そんな政党に誰が期待するかと言えば、結局は思想信条を同じにするコアな支持層しかない。マシな政党を選択するという浮動層にとって、立憲民主党は今のままでは支持に値しないままなのだ。本来は、だからこそ今からでも自らを変えて国民の考えやイメージ、そして理想に近づく努力をしなけrばならないと思うのだが、おそらく彼らは変われない。自らがイメージするものは能力ではなくファッションとしての政治だからである。

 都合の良いイメージしかない政治。そんなものは国民は10年前に見透かしている。むしろそれにより痛い目に遭ったとすら考えている。ところが、メディアで見る限りにおいてではあるが、繰り返しになるが彼らはその意識にギャップに気づいていない。あるいは気づかないふりをし続けている。

 

 今、世界ではイメージと現実の観念戦争が繰り広げられようとしている。BLM運動もそうだが米中(経済)戦争も同じ範疇にあるのではないかと感じている。正確に言えばイメージを前面に押し立てて政治的主張を通そうとするグループと、現実問題を中心に政策を主張するグループ。だが、イメージを中心に展開するグループのリアリティはむしろ醜悪にも見える。その先頭は中国であり、左派メディアである。そして、その後ろをついて行っているのが帰ってきた民主党ではないか。

 イメージ論は一見耳辺りの良い言葉で虚飾されるが、中身を読み解いていくとそれほど奇麗なものではない。結局は旧態依然の権力闘争に過ぎない。子供のころから、聞こえの良い言葉には裏があると聞かされてきたが、最近は特にその傾向が高まったように思う。できることなら、本質を突いた議論をもっと数多く見てみたいものである。