Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

内輪受け野党

 辻本議員の国会質疑における質疑とは関係ない発言内容に対する、安倍総理のぼやきのような発言が問題視(首相がヤジ「意味ない質問だよ」…辻元清美氏の質疑後に : 政治 : ニュース : 読売新聞オンライン)されているようだ。最近は、野党の言うことに興味すら抱かない不感症になっているためか、大切なことをそっちのけで政争を仕掛けているのだろうと放置していたが、思ったよりも長引きそうなので少し触れてみたい。

 どうやら、総理は「意味のない質問」という発言に対し謝罪をする(安倍首相、辻元氏への「意味のない質問」やじ謝罪へ - 社会 : 日刊スポーツ)意向の様である。個人的な感想としては、どうして大した質問をしている訳ではないので、放置しておけばいいのにと思う(東国原英夫氏、安倍首相の辻元氏への「意味のない質問」ヤジに「辻元さんはこういう性格。相手を挑発して怒らせようという意見をいう方。それにいちいち乗っかっちゃいけない」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース)のだが、相当腹に据えかねていたのだろう。もちろんこんなやり取りをしても総理にメリットはない。冷静になり、メリットデメリットを考えたという感じであろうか。元々、野党は一向に支持率の落ちない安倍政権に対し、どんな手段を使ってでもイメージダウンを図りたいというのが戦略であり、マスコミもそれに協力している(と言うか操っているのがマスコミの方)。それがエスカレートすればこんなことも起こる。

 

 だが、このやり取りを見て野党を支持しようと考える人がどの程度いるかを考えてみれば、私の個人的感想になってしまうがほとんど支持対象を変えるとは思えない。むしろ、コロナウイルスの蔓延に関して先手を打って対応策を提案し、それが実現されない落ち度を追求したほうがよほど人気が出るだろう。だが、「協力する」とか「現政権には任せられない」と具体的な提案のできない状態が今。そんな集団に政権を任せたいと誰が思うのか。

 要するに、彼らがやっているのは話題を作りたいマスコミの下請けであり、さらに言えば考え方を同じにする人々に対するパフォーマンス合戦なのだ。究極の内輪受け政治である。この構図は、以前にも何度も触れてきたが、朝日新聞毎日新聞が選択している、焦土作戦のような戦略にも似ている。数少ないパイの中で、それの分捕り合戦をする。全体のパイを増やそうという考えはあるかもしれないが、実質的には全くそのための合理的来な行動を取っていない。

 

 こうした行動はどのような場合に見られるかと言うと、攻めではなく守りに入ったときである。縮小する中でいかに現状を維持しようとかと考えるとき、人は得てして守りに入ったパフォーマンスを見せる。逆に言えば、自らが自分たちの成長と成功を信じていないということの裏返し。もちろん、そんなことを公言するはずもないが、少なくとも辻元議員においては政権奪取ではなく、今の立場を守るための最善の行動を取っている。少なくとも、その地位にいる限り良い給与は確約されているのだから。

 確かに、そういう政治家としてのやりようもあろう。それを全て否定するつもりはない。言論や政治の世界には、多種多様な人がいたほうが環境として健全である。考え方は違っても、それを主張できる開会は何よりも重要だ。だが、それは政策を議論するためであって、個人攻撃をするためのものではない。そんなことすらわからなければ、陣笠どころか、単なる数合わせのための議員。そんな議員のために、貴重な時間や国会という崇高な議論の場を使われてしまうのが、個人的には憤懣やるかたない。

 

 安倍政権の全てを肯定するつもりはないし、特に今回の新型肺炎における政府の、特に政治家の対応(それ以上に認識)の悪さ(低さ)には腹が立っている。経済政策についても、変更すべきと思うところは少なくない。安倍総理の選挙強さに隠れ、虎の威を借る狐のような行動をする自民党議員にも腹が立つ。

 だが、それ以上に政治的センスのかけらもない多くの野党に期待する気持ちを、少しすら抱けないのが私における政治界の認識である。そして、貴重なリソースをこんな程度の低い野党に消費されていることについては、なんとかなってほしいとする思う。

 

 野党(特に、立憲民主党や国民民主党)が本当の意味で政権を担いたいと思うのであれば、根本的な認識から変えなければならない。今のままでは何年やっていても、政権を担えるような状況には至れない。個人的には提案する施策や考え方に全く共感しないが、共産党の方がまだ政党としては随分マシである。結局、相手を怒らせて話題を稼ぐしかできない辻元議員は、政策を立案し推し進めるという側面において政治的能力は低い。議論をかき混ぜる程度には役立っているのだろうが。そんな議員が、政党の重役を担っていることにも乾いた笑いしか浮かんでこない。よほど人材が不足しているのであろう。それも多くの国民は見ていると思う。

 だからと言って、自民党も次代を担えるような政治家がそれほど生まれているとは思えない。トランプ大統領の登場と共に、政治家の発信力に対する期待値が大きく跳ね上がった。だが、それに対応できそうな人は数えるほどしかいないのが現状である。仮に実務能力は高くとも、昔ながらの調整型に特化した政治家では国民の支持を稼げない時代になってしまったのだ。

 もちろん威勢の良いことだけを言っていても、信用力や調整力が不足すればそれもまた十分ではない。政治は信用力(調整力)と行動力(リーダーシップ)の双方が必要な職業である。そのいずれが不足すれば、わき役なら担えても主役は張れない。石破氏などは信用力(調整力)が相当不足するし、岸田氏には行動力が見えてこない。加藤氏は少なくとも今回、決断力を発揮できなかった。

 

 まあ、内輪受けを狙って小さなパイを奪い合う限りにおいて、政権交代は起こりえないだろうというのが、ここ数日の久しぶりに野党に目を向けてみた素直な感想である。