Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

政治センス

 日本はかつて「経済一流だが政治は三流(平成という時代は)」と言われてきた。特に政治の中において外交下手は数多くの論客が語ってきた。この原因の一つとしては、海洋国家であり陸続きの隣国が無いことが挙げられる。すなわちギリギリの交渉を迫られることが少ないことによる経験不足である。加えて国民性としても「和を以って貴し(和を以て貴しとなす - 故事ことわざ辞典)」とする阿吽の呼吸が培う政治スキルは、国際的な状況下ではなかなかに通用しがたい。もう一つは政党システムが強いリーダーを求めず、長期的な政治体制をなかなか確立できなかったこともある。特に、酷い時には毎年総理大臣が変わり、これで継続的で的確な外交などできる筈もない。対外的な信用を築く以前の問題であった。それでもだ丈夫だったのは、悪い側面もあるものの高いレベルで政治をサポートできる官僚組織があったこと。すなわち、日本全体としてダマしダマしでもやりくりしてきた感じである。

 一方で安倍政権については批判も多いが、外交的な側面では日本の存在感を上手く演出していると私は思う。少なくとも現在世界の主要国のリーダーの中では在位期間が長い方に分類(世界の指導者一覧 首相や大統領の略歴 (2018年版) - トランプ政権と米国株投資)され、その経験は期待されていると考えて良い。もちろん、日本の存在感が高まることを不快に思う中国や韓国、北朝鮮からすればこうした状況を快くは思わないだろう。逆に言えば政治的に対抗したい勢力は、自然に共闘していく流れに巻き込まれるとも思う。ところで、政治力(特に外交能力)が向上するというのは、逆説的に考えると政治的な強さが必要な状況に日本が陥っていると考えることもできる。政治力が発揮されなければ不味い状況に置かれているということだ。かつて一流と言われた経済も、今では世界における相対的な存在感はかなり低下した。それでもまだ世界的には頭抜けており一流であるのは間違いないが、将来的な不安感が悲観的なイメージを抱かせているのは多くの人が感じているとおり。下野後数年を経ても野党への批判が強いが、かつて経済状況が十分に良かった頃であれば、あの政治体制でも致命的ではなかった。日本における余裕がなくなったからこそ、国民は未熟な政治力では許容できなくなってしまったのだ。

 かつて、政治家に最も必要な能力は政策を実施する(アクションを起こす)タイミングを見極めることである(自民党の中年若手はダメかな? - Alternative Issue)と書いた。様々な政策は、よほどのことが無い限り政策そのものに意義がない訳ではない。状況や条件、あるいはタイミングが異なれば有効であることも多い。だからこそ、その政策をいつの時点、あるいはどのような状況下で実施するかが問題となる。もちろん日本の政治体制では決して選択されるべきでない施策も案の一つとしては存在し得るであろう。こうした選択を正しく出来る政治家がセンスある政治家であると私は考える。イデオロギー一辺倒で、どんな状況でも同じことしか言わない政治家は、主張が一貫していることは認めるが一面で無能である。その無能レベルにすら達せず、まともな政策論議ができない政治家が多い事にはうんざりさせられるが、それも民主主義の必要なコストではないかと個人的には考えている。国会議員の削減は理想を考えると可能だと思うしかつてそのようにも書いたことがあるが、こうした無駄な議員が入り込むシステムであることを考えれば、人口規模を考えればこれ以上減らすべきではないのかもしれない。

 最大の政治センスは先に書いたとおりであるが、第2のセンスは集団を構成できる能力だと考える。政党制である以上「数は力」がルールとなる。現状の野党は細かなイデオロギーのみ(そこにすら至らない人も多いが)が先に立ち、結果的にバラバラになっている。私も一時期日本も二大政党制が確立されれば面白いと考えたことがある。今ではそれは無理と考えるようになったが、政権に就かなければ自らが志す政策を行えないのも事実。今の野党に政権担当能力がないのは多くの人が考えるとおりだが、立場が人を作るという側面もある。政権に就けばあまり勝手なことは約束できないし、本当の意味で真剣に日本ことを考え無くなる筈であった。だが、民主党全体を覆う政治センスの欠如がそれを実現させず、結果として国民の信を失った。

 私は政治家に過大な清潔さや透明性を求めるつもりはない。しかし、マスコミはポリティカルコレクトネスを最大限利用して、政権与党の政治家を追い詰めようとする。確かに政治家としてどうかと思う人は自民党にも少なくない。だが、完璧超人など実際にはいないのが人間社会だとも考える。マスコミは金にならない(仕事として面白くない、対立構造を広げることが出来ない)ため追及しないが、私は野党政治家の方がずっと政治家として不適格な人数が多いと認識している。出てくる不祥事の数を見る限りに間違いないだろう。メディア的には自民党政権盤石の状態は面白くないだろうし、如何に政治的対立構造を喚起するかに躍起となっているのはわかるが、その姿勢こそがメディア離れを助長しているのにそろそろ気付いてほしいものである。まあ、気付けないのはメディア自身が抱える特権意識が最大の理由だと思うが。

 さてここまでの考えをまとめると、政治センスは個としての政策立案能力よりも決断能力が重要であることが分かる。有能な人を周囲に集め、多くの案の提示を受け、その中で自らがタイミングを含め決断する。だが、政権内で行われている様々な判断根拠は秘密故に見えてこないことも多く、その決定が正しかったかどうかを見定めることは一般国民には容易ではない。また、国際情勢において状況が流動的な段階では決定をしないことも一つの重要な判断となる。さて、こうした判断を行える政治家が一体どれだけいるのか。日本国民が気にすべきことは、個々のイデオロギー主張やミスの追求よりもそこにあるのだと考えるがいかがだろうか。