Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

懐の深さ

人間的な深みを表す言葉として、「懐が深い」と表現することがある。
元々は相撲における腕と胸の間の距離が長くて、廻しに手が届きにくいことから使われ始めた言葉ではないかと思うが、正確なところは定かではない。
懐が深いと言われる人は、直接的な意味としては心が広く包容力があるということではあるが、どちらかと言えば余裕のある人間と考えた方がわかりやすそうだ。
そのため、何かトラブルがあっても慌てることなく対処できる、相手の無理難題にも対処できるだけの度量がある、といったイメージの方が言葉に合いそうに感じている。

人は自分に対しては寛容になりやすいが、他人に対しては容易に寛容には振る舞えない。それ故に、懐が深いと言われる人は、それを他人に見せることのできる人ということもできる。
しかし、一方で懐を深くしようとすれば柔軟性を持たなければならないため、瞬時の反応は起こしにくいという面も持っている。相撲で言えば、懐の深い力士は速攻ではなくがっぷりと組んで相撲を取るというわけだ。だから、複雑な問題に取り組む度量を有しているということで言えば非常に優れているのだが、逆に素早く決断が迫られるときに対応できるかどうかは別問題となる。

そもそも懐の深さを演出するためには、物事に動じないと言うことが求められるが、それは同時に即座に動くわけではないということでもある。一旦全ての問題点を飲み込んで、その上でもっともよい解決策を探るという訳だ。
通常、普通の人は問題点が重なれば重なるほど、あるいは問題点が重大であればあるほど、その影響の大きさや複雑さに思いを馳せてしまい、問題処理に集中できなくなるケースが多い。
懐が深いと言うことは、そのように大きく複雑な問題を冷静に受け止めることができると言うことを言うのであろう。

これは、少し変な話ではあるものの問題に対して鈍感であると言うことにも似ている。実際には、鈍感な人は適切な解決方法や処理方法を提案できないため懐が深いと評されることはないのだが、一時的にはそのような誤解を与えることはないとは言えない。
愚鈍であるというのは別として、懐が深いと言うことは物事に動じずに受け止める心のキャパシティーが大きいと言うことであり、それは守りが強いと言うことだ。

おそらく、人間的な面で言えば攻めの姿勢で成功する人で、同時に守りも強いというケースはそれほど多くない。攻める人は自分の懐に相手を飛び込ませるようなことはしない。基本的には相手に相撲を取らせることなく一気に押し出すというイメージに近い。
だから、先手先手に回っている間は強いものの一旦守勢に回れば弱いという例が多いのだろう。もちろん両者を兼ね備えている人もいるが、それはよほどの強者であり責める時と守る時の切り替えができる人である。

さて、懐が広いとは寛容だというイメージもあるが実際にはどうだろうか?
私は懐が深いからと言って寛容だとは思っていない。ただ、即座に拒否や否定をするのではなく、一旦いろいろな話を受け止めるが故に寛容であると認識されやすいだけではないかと思う。
もちろん、受け止める度量があるわけだから、その問題を投げかけた相手に対して一定の配慮を示すであろう。ただし、配慮をしたとは言っても実質的に寛容に振る舞ったと言えるかどうかはわからない。

人としての懐の深さもあるが、国家としての懐の深さというものも存在するのだと思う。
日本という国が懐深く振る舞っているように見せたい人は数多くいるようではあるが、私には実際の懐深さではなく表面的に似た態度を取るようにしているだけのようにも感じられる。
それは、慈善の心が日本という国の普段の行動とマッチしていないからだと思う。
ただ、それは常々援助や支援を繰り返せばいいというものではないと思う。そうではなく、日本という国の行動が信頼に値するものであって初めて、慈善の意味が本物になるのではないだろうか。

「底が浅ければ懐具合は見透かされるのである。」