Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

オリンピックは誰ものか

ついついこの時期なのでオリンピックのことを書いてしまうが、そこでふと考える。果たしてオリンピックは一体誰のためにあるものなのだろうかと。もちろん、それは特定の者のみのためのものでは無く多くの人々のためのものである。選手のための大会であるのは当然だが、それを支えるスタッフも、それを放送するメディアも、そして競技を見て応援し興奮する人々も、全ての人のためのものなのだ。
もちろんそんなことはわかっているのだが、オリンピックの価値などを話し始めるとき、ついついその中の特定の人たちを意識して話し始めるからややこしくなる。
例えば、なでしこジャパンが2位狙いのために引き分けに持ち込んだことを良くないという人がいる。仮にオリンピックがただ選手のためのものだけであるならば、メダルを取るためにあらゆる方法を尽くすのは当然だし、実際現実の戦いでもそうした例は少なくない。逆に、それを驕りだなどとする意見は少々おかしいと感じている。べつになでしこジャパンの監督も選手も驕りによってこのような手法を採ったわけではないだろう、最大限の効果を発揮するために全力を尽くしているに過ぎない。
すなわち、それを非難する人たちは観客の立ち場でものを言っているんだとよくわかる。全力のプレーを見せていないのは、観客に対する冒涜だということだ。確かに、競技を見るには多額の費用を払わなければならないから、その対価に見合うプレーをしたとは言えないだろう。ただ、その対価が選手達に支払われるわけではないことを考えると、それを一生懸命戦っている選手にぶつけるのは筋違いではないかと思う。更に言えばその戦術は監督の方針であり、何もわざと負けろと言っているわけではないのだ。加えて、相手と談合したわけでもない。相手は本気だとすれば、気が抜けるはずもないではないか。すなわち、積極的に攻撃しないという戦術と見なすこともできる。
おそらく監督は、自らが非難を受けることを承知の上で決断したのであろう。確かに、その情報を易々と認めたり漏らしたりするのは情報のコントロールという意味では稚拙だと思う。そもそも最後まで認めなければよいのだから。ただ、その素直さが選手達とのコミュニケーションに役立っているとすれば、それも含めて指揮官の器量と言うことになる。
その行為が非難を受けるだろうと言うことを十分知った上で、そのリスクも考えた上での行動だったとすれば、それをメディアや一部のライターが容易に非難するのはあまり感心しない。もちろん非難するのは言論の自由ではあるのだが。

一方で、バドミントンでは無気力試合によって韓国や中国などのペアが失格とされた。こちらも勝ち抜く上で有利な方法を取ろうとしたと言う点についてはなでしことかわらないが、その方法に大いなる問題点が潜んでいた。それは、わざと勝負に負けるという方法論を取ったことにある。しかも、ずっとネットにかけ続けるというあり得ないほど露骨な方法であり、審判の注意も聞かず続けたのだ。サッカーで言えば、お互いに自殺点を入れ合うような行為であり、それが看過されるほどの寛容さはオリンピック委員会にもバドミントン協会にもないだろう。これは、観客のためという面を汚し、その上で大会の品格を大きく毀損するという意味で厳しい処罰が選択されたのだと思う。
なぜなら、こんな八百長まがいの行為が頻発するようではオリンピックの種目として適当ではないと言われかねないようなものだったからだと思う。競技の存続を賭けるようなことに発展するくらいなら、さっさと処罰する方がずっと正しい。

オリンピックを取り巻く関係者は以下のように考えられる。
1)参加する選手
2)大会や競技をサポートするオリンピック委員会や関連団体
3)競技を見て一喜一憂する一般の人々
4)オリンピック放送に関わるメディアとスポンサー企業
現代オリンピックが今の価値を維持しようとすれば、基本的にはどの関係者も無視できない。マイナーな競技会としてあってもかまわないと原点を指向すれば、1)と2)のみでいいかもしれないが、現場としてそこまで極端には走れないと思う。そして、大会の価値というか権威があればあるほどそれは翻って選手達の満足感にも繋がっていく。大会としての価値を誰が作るのかといえば、選手だけではなく如何に多くの人がそれに関わるかと言うことが重要になる。権威を形作る組織、それを支持する民衆。だから、オリンピックは誰のためにあるかを端的に言い表すことは難しいのだ。
そこには国家が絡み、国威発揚という娯楽として利用されているのも事実である。

ただ、できることならなるべく表向きだけでも選手達のものであるという建前は持っていきたいものだと思う。