Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

第三次産業の次に来るもの

 コロナ禍が社会のありようを変えると、最も大きな影響を受けるのが第三次産業第三次産業 - Wikipedia)である。アメリカでは、レストランの25%が廃業を余儀なくされる(25% Of US Restaurants Will Never Reopen: Opentable | Zero Hedge)との予測も出ているようだが、既にいくつかのデパート(アメリカで始まった「百貨店倒産ドミノ」の悲惨 | 激震!ニューヨーク封鎖 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準)やアパレルメーカー(ファッション企業Jクルーが新型コロナで破綻 アメリカの大手小売りチェーンで初 | ハフポスト)は倒産(あるいは再生)への道を歩み始めている。メーカーは第二次産業ではあるが、小売りに直結するところはかなり厳しい。さらに言えば、病院がかなりに危機に近づいている(東京新聞:<新型コロナ>民間病院6月危機 「資金底つく」 コロナ以外の患者減「助成必要」 全日病会長:社会(TOKYO Web))。病院も立派なサービス業だが、サービス業は人の人との近接がこれまでの基本であった。リモート診療が増えれば近接は避けられるが、知り合い同士の会話を楽しむために病院に行っていた緊急性のない層が消えるため、これまでよりも患者数が減少するだろう。

 もちろん移動制限や社会距離により多くの農業・水産業や工業も人員確保等において影響を受けている(外国人実習生にミスマッチ コロナで解雇、農業は人手不足 進まぬ転職、国の支援急務 :日本経済新聞)し、今後生じるであろう避けられない経済低迷により生産量が過剰になるという可能性はある。だが、これまで一次産業と二次産業が三次産業に置き換わるのが先進国における常識であったが、その基本的な枠組みが根本的に変わる可能性がある。少なくとも、今後数年は逆行するだろう。

 

 人々が生きていく上で不可欠なものは衣食住だが、第三次産業は豊かな社会において大きく成長することができた。ある意味、文明の成長に伴い繁栄できた産業である。もちろん、小さなレベルでの娯楽がなかったと言わないが、現代のように高い付加価値を持っていたとは思えない。また、コロナにより娯楽の全てが消え去る訳でもないが、その必要性について少なくとも数年は多くの消費者が再考するだろう。

 この娯楽は本当に必要だったのだろうか。あるいは命の危険を冒すだけの意味があるのだろうかと。人の価値観とは不思議なもので、自分に大きなデメリットがない(命の危険がない)と分かれば多少の無駄は気にならないものだが、それが不利益(あるいは危険)に直面した途端考え方が変わる。果たしてそこに投入していたお金や時間にどれだけ意味があったのかと考えてしまうのだ。

 もちろん、人間は時間と共に忘れ去る(あるいは危険に慣れる)存在でもある。これが数年もすれば、再びかつてと同じように娯楽を享受しに向かい始めるだろう。問題はその数年で容易に一部の業界は致命的な被害を受けるのである。コロナでもなければ、こうした淘汰はある程度緩やかに進行するのだが、今回はそれが間違いなく極端に出てくる。だが、政府に数か月の救済を望むことはできたとしても、数年分の救済を願うのは不可能である。ワクチンが出来上がれば、ある程度社会は回復すると思うが、それでも人々の心に与えたダメージが抜けるのには時間がかかると思うのだ。

 

 さて、コロナにより大きなダメージを受ける産業として想像できるのは、上記に示した百貨店(元々、厳しい状況にあった)だけではない。人々が数年間、密接を避けるとすれば、多くの飲食店・販売店は店頭販売を続けることが困難となる。エンターテインメント業(芸能界もライブハウスも:コロナショックの現場から:4月末に閉店したライブハウスの3年半 マネジャー「音楽は不要不急じゃない」 - 毎日新聞)は言うまでもなく、観光関連(旅行社:新型コロナで苦境に陥る旅行会社「倒産」「希望退職」「赤字転落」などが表面化 - M&A Online、旅館:旅館、休業でも経費月4千万円 「リーマンより厳しい」 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル、ホテル:新型コロナ影響の倒産 133社 最多は「ホテルや旅館」 | NHKニュース、観光地、テーマパーク等)も既に分かっているように相当の打撃を受けるだろう。スポーツジム(クラスター発生で退会が倍増 苦境迎えた全国のスポーツジム 新型コロナ - 毎日新聞)も事業展開の方法を変えなければ、そのまま以前の状況を取り戻すのは厳しい。他にも様々な業界で苦境は広がっている。

 いずれの業界でも、少なくとも人員のカットやコストアップを図らなければ、今までのようにやっていくことはできない。当然コストアップに見合う価値を提示することが前提である。ただ、景気悪化により再度のデフレが進行することを考えると、あまり楽観的に考えるのは難しい。コストカット=人員削減+給与減額や事業縮小である。十分な内部留保があれば数年間休む(あるいは損を覚悟で営業を続ける)ことも可能だろうが、それほどの余力を持っているところは多くあるまい。結果として、多くの業態において一旦の淘汰と再生は避けられないのではないか。先見の明があるところは、一旦整理したうえで再度のチャレンジの期を待つ。

 

 もちろん第三次産業を構成するすべての事業が成り立たなくなる訳ではない(2月の第3次産業活動指数、前月比0.5%低下 新型コロナで宿泊や旅行が不調: 日本経済新聞)が、私としては単純に代わりに第一次産業第二次産業が復活すると言えるほどでもない(【論風】新型コロナが1次産業に打撃 構造問題を再認識し再生ばねに (1/2ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ):自分を磨く経済情報サイト)と考えている。第三次産業は比較的容易にスタートすることができるが、第一次産業を始めるにはかなりの準備と時間が必要である。そして、ようやく取り組み始めたころには世界が(完全ではないが)元に戻っているなんて話になっていてもおかしくはないのだから。

 結果としては、第三次産業が形態を変えていくことが予想できる。形態を変えてもそのまま第三次産業と呼ぶことはおかしくないが、私はそれを第三次産業(改)と呼んでみたいと思う。一部では、コロナ以前から六次産業化などと呼称され(6次産業 - Wikipedia)、第一次産業第二次産業第三次産業を組み合わせたハイブリッドな業態への転換が検討されてきたが、これは元々第一次産業を高度化するために考えられたスキームである。だが、図らずや今回はコロナにより第三次産業の高度化・重層化を目指すという流れが生まれるのではないかと思う。一部スーパーや企業などは生産地も含めた総合化を既に推し進めているが、この辺りを押さえることにより小売りだけには限定されない多面的な販売網を有することができる。もちろん、そのためには規模の拡大が必須となるため、私が思うほど推進しないかもしれない。

 あるいは、従来の細分化された第三次産業の分類を融合させることにより、生き残りをかけるという流れもありそうだ。基本的に第三次産業はサービス業である。生活に必須の小売業であるスーパーなどは大きな影響は受けないが、娯楽性が高まるほど喫緊の必要性が薄れる。だが、実際には今や買い物も娯楽の一つであると私は考える。楽をしたければネットを通じて何でも入手できるのだから。

 娯楽性と非娯楽性(必需性)の結合がどんな形になるのかはまだ想像できないが、全く新しい業態が生まれることも十分に考えられるだろう。娯楽性を追求することこそがエンターテインメントの本質だと考える人とは意見が合わないだろうが、それを純粋に残すための環境がどれだけ維持できるか(少なくとも数年間は)はなはだ疑問である。おそらく、演劇や映画・ドラマにおいても現在の体制が崩壊しても新しい人材が、新しい形で再び浮上してくるであろうと思う。それは、消滅と勃興の激しいIT業界を見ていれば何となく想像できる。当事者の人たちはそんなことは言ってられないかもしれないが、むしろこんな時期だからこそ全く新しいエンターテインメントを生み出してほしいと思う。