Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

エンタメ再考

 今回のコロナウイルス被害に対し、アーティストたちが政府に補償を求めている(ライブハウス 国に損失補償など求め30万人余の署名提出へ | 注目の発言集 | NHK政治マガジン)。世界的にもいろいろな政府による支援が行われている(遅れ際立つ日本。世界各国の文化支援策まとめ|美術手帖)。日本でも財政的に余裕のある東京都は踏み出したようだ(東京都、アーティスト支援策に5億円。ウェブ上に作品掲載・発信|美術手帖)。

 ただ、ネットでの評判は様々である。そもそも、本当に国や自治体が保護すべきアーティストとは誰なのかという素朴な疑問に基づいた意見を中に見かける。大多数は、その他の産業に対する支援と同様の支援を受ければよいというもの。実際、現時点では対応が追い付いていないが(飲食店のアルバイト労組 給与減少分の補償を会社に申し入れ | NHKニュース)、遅ればせながらもアルバイトなどの休業補償も出るよう(パートも「休業手当」はもらえる?休業補償と休業手当の違い/いくら支払われるのかを解説します | しゅふJOBナビ)な方向に動いているように見える。

 

 さて、コロナウイルスによりストップした産業を守るべく、政府は一つ一つ膨大な作業をしながら産業維持に向かっている。言われるまでもなく、国民が望む速度ではないのはそのとおり。だが、ルールを守りながら行うと時間はかかる。一部ではルールを一時棚上げにして行っている施策もあるが、それが増えれば終息後には間違いなく野党とマスコミの餌食にされる。そもそも、行政に暴走を防ぐための制限を幾重にもかけてきたのは過去の国民である(先陣を切っていたのはマスコミ)。もちろん、守られやすい産業と守られにくい分野があるのは間違いないが、最低限のパッチワークは不十分ながらも広く行われている。金額やレベルには議論もあろうし、それによる死活問題を短期的には無視できないのも事実。ただ、長期的視野でみると少し違った風景が見える。

 コロナ後の社会がどのようになるのかである。現時点では社会のショックを和らげるため現状維持に力を投入しているが、今後もコロナが生き延びれば、仮に感染爆発が収まってもかつての社会は容易には戻らない。すなわち集会をなるべく回避し、大声を出すような人が密集する場所を使用しない。そういった状況も十分に起こり得る。テレビでもひな壇芸人はまばらに配置され(あるいはネット接続)、観客を入れることもできない。

 要するに、社会の常識が変わるのだ。人々同士の接触や距離が今までとは変わってしまう。その変化に対応する業態をどのように作り上げていくか。まだ、コロナ後がどのようになるかは不明確ではあるが、そろそろ考えなければまずい時期に来ている。現時点での社会からの要求は維持しかないが、今後の社会が変わることも徐々にではあるが見定めることが必要になるだろう。

 

 例えば外食産業やホテルにおいて、大規模な宴会は数年は難しいと考えなければならない。多くの会議や打合せはネットに移行するだろう。人と人の触れ合いは重要だが、感染症の危険性に比較すれば我慢を強いられる。うつされても仕方がないと思えるだけの、距離の近い人間としか接触できない。そんな社会が来る可能性も否定できないのである。

 既に記事等が出ているが、会いに行けるアイドルブームはおそらく縮小する(新型コロナで苦境の「地下アイドル」 新たなスタイル模索も | NHKニュース)か、少なくとも形を変えなければ維持できない。コンサートで収入を得てきた歌手たち、CDや配信では大きく設けられないとすれば、グッズ販売にシフトせざるを得ない。漫才や寄席もどれだけ回復できるだろうか。youtuberは当たり前すぎて、大半は稼げないネットの小説投稿と変わらない感じになっていく。映画館が閉鎖して行くとき、映画産業は縮小の道をたどるか配信へと舵を切らざるを得ない。劇場やテレビはなおさらであろう。有料配信への道筋を早期に構築した人が当面生き残っていく。

 スポーツは徐々に復活していくと思うが、それでもかつてのような栄華は取り戻せないと考える。今まで通り観客を入れることができなくなり、それを受けて徐々にギャラは下がっていく。だろうもっともコンテンツとしては価値があるので、密集状態以外をうまく作れれば開催は可能だが、接触プレーの多いものはいろいろと考えなければならない点が多い。

 

 これらの状況は、画期的な治療薬の登場により状況が変化する可能性は高い。ワクチンば生み出されれば、もっと自由を取り戻せるだろう。だが、それも絶対ではなく、万能でもない。少なくとも、数年(下手すれば10年単位)の間は人々の社会行動がこれまでとは変容する。

 エンタメは、そもそも人々の心を癒すための娯楽である。小さな余暇を楽しむための存在。すなわち、社会の変容により娯楽の形態は変わり、それでも生き残り続ける。だが、一部の芸術性を認められた「保護」すべきもののみは救われても、それ以外は必ずしも救われるとは限らない。この「保護」は伝統工芸などの保護をイメージするとよい。本当に優れた残すべき一部以外は、わざわざ国は支援したりしない。

 エンタメの世界は、自らが率先して離隔した社会における生き残り策を考えなければならない。仮に政府補助を受けたとしても、社会が変容してしまえば今のままの方法では将来がなくなるのである。

 

 もし、消えていく分野に政府が補助金を投入していれば、その行為は大きな社会問題にならないだろうか。当面の維持策は構わないと私も思うが、それは他の国民と同様のものではだめなのだろか。なぜ、エンタメ業界のみ特別な補償が必要になるのか。そのためには、国民が納得できる説明と線引きが必要になる。保護と援助は異なる。また、これまで税をきちんと収めてきたのかどうかも大きな課題であろう。少なくとも、それが証明できる人たちにはルートが確保されている。

 従来、エンタメ業界は一般の社会に馴染めない人たちが中心になって広がった側面を持つ。もちろん、今では健全に経営している主張するところも多いだろう。テレビ局などはその典型ともいえる。だが、不明瞭なお金のやり取りが今の土建業界以上に残っているところでもある。

 その世界に飛び込み十分な援助が貰えないと主張する人も、日本の社会福祉制度をきちんと調べれば様々なセーフティーネットがあることを調べることは可能である。アメリカなどと比べれば本当に恵まれている。時間は必要だし、資料も作らないといけないし、多くの人の助けを得なければならないし、復帰には困難があるかもしれないが、それでも道は用意されている。

 

 今のままのエンタメ業界の形、自分たちの活動を維持しろという主張には大きな困難があるが、この先の社会の変容応じて変わる努力をすればきっと道はあるのではないだろうか。ただ、元の規模や収入を保証できるものではないが。